読書日記「百年の孤独」
刑事事件の量刑であるが、時にはこんな人を刑務所にやっても仕方がないだろうと思う事件に出会うこともある。検察官や刑事裁判官からすれば、刑務所に送って一丁上がりというところであろうが、その人のその後の一生をどうすればよいかなど彼らは考えなくてよいのである。
財産犯などでは、直接の被害者がもっとも被害を受けているのであり、本来、国家がその被害者が許しているのに処罰するというのはどうかというところがある。
もちろん、特別予防(その人が二度と刑事事件を起こさないように施設に収容して教育をする)という観点と、一般予防(悪いことをしたらこういう目に遭うということで、一般の法的秩序を守る)という観点もあるだろうが、刑の基本は被害者の応報にあり、被害者が許しているのに一般予防と特別予防だけで刑務所に送るのはどうかと思うのである。
自業自得であるといえばそうであろうが、特に高齢で刑務所を出たあと、仕事もなく、出てきた時に社会復帰をするための手立てもなければ、刑務所に送らない方がいいことだってあると思うのだが。
検察官や刑事裁判官のしていることは、逮捕されて弱っている人をいじめることしか出来ていないのではないか、と思うこともあるし、現実に昔知り合いの検事が、そのような感想を漏らしていたことがあった。
簡単に量刑相場がこうだからとか、刑務所に送ればいいという短絡的な発想ではなく、被告人1人1人の人生を考えてやってもいいのではないか、と思うのである。
もちろん、これは被害者が許している財産犯に限っての話であり、やったことが違えば、やはり刑務所で償ってもらうほかないとは私も思うのだが。。。
弁護人はそのあとの被告人の人生の相談や、誰もしてくれる人がいなければ自宅の明渡の相談にまで乗ってやらないといけない。
検察官の求刑から半分以下になったら控訴されるかもしれないし、控訴されて上級審でひっくり返ると、勤務査定にひびくなどと考えているような裁判官ばかりでは、日本の刑事司法が改善される日は来ないだろう。