読書日記「百年の孤独」
小学生の頃、少し年が上の従兄弟のところに遊びに行くと、本棚に地獄のことが書いた本があった。
生前悪いことをすると、様々な地獄に堕とされるとして、それぞれの地獄でどのような責め苦が待ち受けているのかがカラーで記載されていた。
どんな理由でこの本を持っていたのかよくわからないが、これをペラペラとめくって、地獄には堕ちたくないと心底思ったものである。
この地獄というのは、仏教で出てくる概念をいろいろに記載していたものであるが、実のところ、仏教はもともと死後の世界は語っていなかったようである。どこかで、誰かが地獄という概念を編み出して、「地獄に堕ちたくなければ宗教を信じろ」ということで布教に使ったのではないだろうかと思ったりしている。
親鸞は、死後の世界については自分も分からないと正直に歎異抄という書物の中で述べている。一向宗にとって、歎異抄は門外不出の本であったらしい。一向一揆の際に、「念仏を唱えて殉教すれば、極楽浄土に行くことが出来る」として信長と戦わせた一向宗であるから、その教祖である親鸞が「死後のことはわからない」ということを述べているということが分かると大変に具合が悪かったのである。
親鸞は大教団を作る意思はなく、念仏はただ自分1人のものということで生涯を終わり、蓮如という布教の天才が出てくるまでは忘れ去られた教団であったらしい。
地獄というのがあるのかないのか私には分からないし、今それを考えても仕方がないので考えないようにしているが、地獄という概念がなければ、芥川の蜘蛛の糸も生まれなかったであろうとも思うのである。