読書日記「百年の孤独」
「さよなら、愛しい人」早川書房。レイモンド・チャンドラー。村上春樹訳。
ロング・グッドバイにあまりに感動したので、文庫になるまで待てないと思って、村上春樹の新訳の「さよなら、愛しい人」をハードカバーで購入して、この連休中に読み終えてしまった。
ハヤカワミステリ文庫では、「さらば愛しき女よ」の題で、清水氏が訳している。これも名訳ではあるが、やはりチャンドラーの文体を余すことなく訳してくれる村上春樹訳がうれしい。
この作品はロング・グッドバイよりもかなり前にチャンドラーが書いた作品で、ロング・グッドバイが、熟成に熟成を重ねたビンテージ・ウィスキーだとすると、こちらは、市場で何とか手に入る程度熟成されたウィスキーの味わいというところである。
マーロウが死ぬほどかっこいいところは変わらないが、村上春樹も言っているように、この作品のマーロウは若い。しかし、若い故にとげとげしいマーロウもやはりかっこいい。
この作品でもマーロウは、世間からすればどうでもいいかもしれない、ちっぽけで、しかし、マーロウに取ってはそれを失うことが死ぬことよりもつらく、そのために命を落としても仕方がないようなルール、マーロウの中だけのルールを守ろうとあがいている。
そのためにマーロウが失うものは多く、それが為に得られないものも多い。しかし、マーロウはそのルールを誰にほめられたい訳でもなく守るのである。
マーロウは女性に対して貞操観念が強い訳でもなく、どちらかというと好色かもしれない。
しかし、我々はマーロウが守ろうとするそのちっぽけなものーマーロウにとってのみ重要なそれを守ろうとするーそのマーロウに感情移入し、そしてまたチャンドラの世界に惹かれ続けるのである。
この作品でも、小さい虫を書いたくだりが出てくる。警察官は、家宅侵入する時にクモを無意識に殺す描写がされる。その一方で、マーロウはその警察官のオフィスで、警察官と話しをしながら、小さいピンク色の虫をずっと見続けている。
マーロウはこのピンク色の虫が地上18階までどうやってきたのか、その道のりを考えつつ、彼がこの地上18階では生きていけないことから、その虫をハンカチにくるんで、道ばたの植え込みに返してやるのだ。
何の後ろ盾も持たないマーロウにとって、マーロウはこの小さいピンク色の虫であり、それが故に彼は飛ぶ場所を探し続けるこの虫を飛べる場所に持ち帰ってやるのだ。
私はこの作品では272頁あたりのこのピンク色の虫を書いたくだりが一番好きだ。
マーロウが昆虫を見るような視線で、私が庭で虫を見ることが出来たなら、私ももっとマシな男になれるのではないかというような気もする。
弁護士をしていく上で、私もマーロウのように、世間から見ればどうでもいいではないかというような小さいことにこだわり続けて、仕事をしていきたいと思うのである。
一冊だけの書評であるが、書かせていただきたい。
チャンドラーを読まない人は不幸であると心からそう思うのだ。