読書日記「百年の孤独」
信玄は信濃を手中にしたことで上杉謙信と国境を接することとなる。
仮に越後に謙信ではなく、もっと凡庸な武将が国を治めていたら、日本の歴史は変わっていたであろう。
信玄は越後も属国として、西上野の一部、飛騨の一部を支配下に置き、さらに駿河、遠江も配下に置けば、周辺の豪族は信玄の威勢になびき、統一がひょっとしたら出来たかもしれない。
しかし、天は時にこうした配剤を行う。
戦国時代を通じて、最強の兵は信玄か謙信の兵であったことは疑いがなく、その両者が国境を接してしまったのである。もっとも、それは信玄が信濃を攻略したからであるが。
そして、川中島の戦いが起こる。川中島の戦いはそのほとんどはにらみ合いで終わっているが、一度だけ激闘が交わされている。
これについてはいつか書こうと思っていて、関連する本も五冊くらいは読んでいるのだが、戦国最強の二人が戦い、しかも、一騎打ちをしたという伝説つきであるから、歴史好きにとってはこたえられない素材であろう。
川中島の戦いについての名作といえば、海音寺潮五郎の「天と地と」であろう。これを読まずして、川中島の戦いは語れない。
謙信と信玄とを比較すると、ものすごい文章になるので、ここではそれは割愛する。
信玄にとって転機は、1560年にやってきた。桶狭間にて、駿河・遠江・三河を手中に収めていた太守今川義元が織田信長によって討ち取られたのである。
跡を継いだ今川氏真は戦国武将としてはきわめて凡庸であったことから、信玄にとって駿河は攻略すべき先以外の何ものでもなくなった。
南に出れば海があり、また、駿河には金山がある。信玄は駿河に侵攻しようとしたが、嫡男の武田義信は、今川氏から妻を迎えていたことからこれに反対。謀反を企てたが、事前に露見して幽閉されて後に死ぬ(死因には諸説あるが、殺されたのであろう)。