読書日記「百年の孤独」
甲斐の山国は開墾できる土地が少なく、信虎が追放される以前は飢饉が続出していたという史実があったように思う。晴信としては、甲斐の国だけでは国を維持することが出来ないことが分かっていたと思う。
関東平野には既に北条氏が確固たる地位を築いており、南には2国の太守である今川氏が居る。晴信が、甲斐だけでは食べられないとすれば、目指すは北西の信濃しかなかった。
また、信濃は地侍がそれぞれの盆地に割拠しており、晴信からすれば強大な勢力がいないことから、攻めやすい地域でもあった。
晴信は、敗戦もあったが、信濃の国を支配下におくこととなる。
晴信に天下制覇の野望があったかといえば、私はそれはなかったと考えている。晩年信長がその模範を見せた以降はともかくとして、この頃の晴信は配下を食べさせる為に地盤をひろげていくということしか考えていなかったであろう。
天下を目指すとすれば、そのやり方は極めて着実であり、勢力下においた地域に代官を派遣してきめ細やかな行政を行うのであるが、それには多少の時間がかかる。
信長は性急に勢力を拡大し、きめ細やかな施策はしなかったが為に、勢力が膨張するに伴い、謀反に悩まされ、最後は光秀による謀反でその命を失うこととなった。
ただ、一代で日本を統一しようとすれば、ある程度の無茶は必要であろうから、晴信のやり方では強大な勢力とはなれても、天下を獲ることは出来なかったであろうと思われる。
晴信は天才ではなく、どちらかといえば秀才肌であったろう。