読書日記「百年の孤独」
時々、無性に釣りがしたくなる。
中々暇がなくていけないが、太古の狩猟していた頃の本能というか、そういうものは誰しも持っているのではないか。
珍しい虫を捕って興奮したり、より大きな魚を釣ってみたいというのは、たいていの男は持っているように思われる。
これは私もそうである。
司法試験を勉強していた頃は、時間はあったから、勉強にうっ屈してくると、時々竿を持って出かけた。自動車の運転に自信がないので(今もないのだが)、電車とパスで出かけた。
ほとんど釣れないが渓流に行ったり、海に出かけて釣りをしていると、気持ちが晴れやかになるのである。釣れなくとも、自然の中に行くということもやはり必要なのであろう。
相当偉い検察官になった同期で同学年で同じ刑事訴訟法蝉であったS井を無理矢理誘って海に行ったこともあった。無理矢理S井を早起きさせて、神戸の方の海に行ったのである。
釣果は全然であった記憶である。その頃、釣り雑誌を見て、まず小魚を釣って、そのまま釣り上げずに泳がせて、その小魚をえさにしているより大きい魚をねらうという「飲ませ釣り」なるものにあこがれていて(なぜ憧れていたのかはもう忘れてしまったが)、それを「やろう」ということで無理矢理にS井とともに早朝から海に出かけたのであった。
釣果は全然で、周囲の釣り人も平日であるのに来ているのはなぜか等々疑問はありつつも釣れていなかった。
焦った私は早く釣らねばと思うばかりに周りを見ずに投げてしまい、S井の指を釣ってしまいけがをさせたりしてしまったが、S井はそういうことでは怒らないのであった。
S井の釣りの欲求があったのかどうか、あるいは私が強引に連れていったので「ヤレヤレ」ということでつきあってくれたのかは、未だに謎である。
ともあれ、最近は釣りがしたくなると、琵琶湖に流れ込む自宅横の小さい川で釣りをしている。小さいがウグイやフナ、コイ、ブラックバス、ブルーギルが手軽に釣れて、多少は無聊を慰めてくれる。
朝から晩まで、日に焼けて前のように釣りがしたいものである。