読書日記「百年の孤独」
経験がないのであるが、「弁護士はこうですよね」とか、「こう思うんです」という若手弁護士がたまにいる。
こういう弁護士もキャラクターによっては、その生意気さが「かわいらしい」と思える人もいるのであるが、たいていはうっとおしがられる。
そういう弁護士も数年すれば分かるのであるが、経験がないということはどうしようもないデメリットであり、数年して、自分が若い時に偉そうに言っていたことに冷や汗をかくのである。逆に、冷や汗をかかない輩はどうしようもないダメな弁護士であるといえる(たまに真実優秀な弁護士もいるかもしれないが、私はいまだそうした弁護士に出会ったことがない)。
真剣に五年やった弁護士には、いくら優秀であっても1年やそこらの経験しかない弁護士はふつうはかなわない。五年を過ぎると、能力の差が出るような気もするが、そのあたりはあまり考えてみても仕方がないであろう。自分よりも優秀な人間は世の中にふつうはごまんといるし(私より優秀な人を数えた方がこの業界は早いであろう)、比較してどうこうする仕事でもない。
あるいは、自信がないために語りたがっているのかもしれないが、そういう弁護士と話しをしても気分が悪いだけなので、私は話をしないことにしている。
ある女性弁護士に言われたのだが、私は宴会でワイワイやっているように見えて、その実、気に入った人としか話をしていないですね、と言われたことがあった。
見られている人には見られているもんであるなあ、とそのときは感心した。
この稿に、取り立てて結論はないのだが、主張すべきは主張すべきだが、それは裏付けのある能力があってのことであり、周囲に能力を認めさせられないうちは黙っている方が無難ということであろう。能力は、本当にあるなら周囲が勝手にもり立ててくれるから、あまり自分からぺらぺらと話をしても仕方がない(私は自慢壁があると言われるので、自戒を込めて書いている。)。
弁護士の社会もやはり先輩を立てる時は立てていくべきである。
あと、かわいげがないと、だめであるが、かわいげばかりは生まれついてのものなので、どうしようもないところはあるであろう。