読書日記「百年の孤独」
京都は二つの事務所を交代で回るので、指導担当が二人いる。これからどうなるかはわからないが、今まではそうである。
私が独立して数年後、それまで修習指導担当は10年以上ということになっていたのだが、修習生の人数が増えてきたため、10年目以内でも修習委員会の許可があれば指導担当が出来ることとなった。
私は特別希望したわけではないが、修習委員会の副委員長と親しかったためか、抜擢されて指導担当となった。
そのとき来てくれた初代修習生がM島君とW野君である。
M島君は西村あさひ事務所で頭角を現している優秀な若手弁護士になり、このほど、同僚の女性弁護士と結婚するということで結婚式に呼ばれた。
最近、こうした時に呼ばれて困るのが、私自身は全く偉くなった訳でもなく、初めて会う人と面白おかしく話が出来るタイプでもなく(人見知りなんです。ボク。)、あらたまった場で話しをするのがとてつもなく苦手であるのに(宴会で馬鹿な話をするのは割合出来るのだが)、主賓席に座らされて、とてもとても偉い人の横に座らされたり、挨拶をされられるのである。
たいていは、「主賓席にしんといて」「あいさつはなしでな。歌なら歌うけど。」といっておくのだが、先方も指導担当で、その後もサッカー部でつきあいがあるということになるとそういう訳にもいかないらしい。
とても気が重いのだが、主賓席に座らされて、私のような人から見ればまぶしすぎる東京の渉外事務所で、一年で私の生涯賃金くらい稼ぐような先生と同席にされてしまい、その場にはそうした偉い偉い先生方が並んだのであった。
私たちが普段参考にしている商法やM&Aの本を書いている側の先生たちで、まぶしすぎて視力が落ちるほどである。話し方も私などとは違い、大変自信に満ちている。
私のような市井の町ベンがそんな華やかな席に座るということじたい、場にそぐわず、M島君を恨むのだが、M島君の都合もあるであろうから、主賓席に座った。
サッカー部の面々からも、「主賓席はものすごいアウェイな感じですね」と言われる始末である。席を替わってくれるよう懇願するが、当たり前なことにそんなことは許されないのであった。
つづく。