読書日記「百年の孤独」
小学校の時、割り箸をナイフで削ってペンのようにして、それに墨をつけて絵を描くというのを図画工作の時間であったかにやっていた。何年生の時であったかは判然としない。
私はまあまあ絵は得意であったので、先生に褒められていたのであるが、ある時、自分の指を書いてみようと思って、指をリアルに書いた。
当時の私の視力は2.0であったので、指に生えている毛まで書いた。リアルさを追求する小学生であったのである(なんといっても、絵を習いに行こうとして、1回でやめたほどであったから、絵に対する興味はあったのである)。
ところが、この絵を描いて提出したところ、先生は、「中君、こんな毛まで見えるはずがないでしょ。」と決めつけられた。私は毛が見えるので、「見えます」というと、先生はなぜか、「嘘を書いてはいけません」と決めつけてきたのである。そのとき、いたいけな小学生であった私の心は痛く傷つけられたのであった。
今だから分かるが、小学生の先生は一般的には全然偉くもなんともないのである(個別に偉い先生がいることは当然である)。単に資格として教師の資格を取り、就職先として教師を選んでいるに過ぎないし、人格的常識等々が優れているという訳でもないので、彼女はどうやら近眼であったようで、指の毛など見えなかったのであろうと思う。
そして、彼女は、自分に見えないものは、当然私にも見えないはずという論理的帰結で、私の書いた絵を全否定したのであった。
自分の尺度を持つことも大事であるが、その尺度が正しいかどうかについては、常に自省が必要なのであろうなあと、今でも指の毛を見ると思うのである。