読書日記「百年の孤独」
小学校3年生か4年生であったか、あるいはもう少し小さかったか忘れたのであるが、あ夜中になんだかざわざわしていたような記憶があるのだが、起きると近所の遠い親戚のおばさんが枕元にいて、父親が入院したことを知らされた。
後から聞くと、父親は下血して、やまほど出血し、救急車で運ばれて、救急病棟で、母親は、「親戚の人を呼びなさい」と言われたということであった。
結局、大量出血をしたが、一命はとりとめたようで、私が病院に連れて行かれた時には父親は意識もあった。
父親はその後大阪市内の病院にかなり長いこと入院していたのであるが、私は小学生であったのだが、5歳下の妹を連れて、荷物も持ち、文句一つ言わず母親とともに病院に行き、時には病院の床で寝ていたらしい。
あまりこの時のことは記憶がないのであるが、病院の地下に自動で熱いうどんが出てくる自販機があり、このうどんが美味しかったことは覚えている。スープが絶品で、母親に数百円もらっては地下のうどんを買いに行って、病室で食べていた。
時々その頃を知っている人からは、小さい頃から、そんなときでも落ち着いていたと言われるが、実際のところ、父親が入院しているという事実じたいがよくわかっていなかったのであろう。妹の世話をして、荷物も持って、うどんを食べて文句一つ言わないのであるから、母親としてはやりやすかったであろう。
子どもなので、単にうどん食べたさに病院について行っていたのではないかという気もするのだが、父親が死ぬかもしれないし、そうなれば自分たちの生活はどうなるのであろうという不安から文句など言っていられないということであったのかもわからない。
私の父親はこの時を含めると合計3回入院するのであるが、最初の入院は2歳の時でよく覚えていないが、もう1回の入院は中学校3年生で受験を控えていたので、よく覚えている。切羽詰まっても今もあまり焦らないと言われるのであるが、父親が死ぬかもしれないという目に何度もあっていることでそうなったのかもしれない。