読書日記「百年の孤独」
高学年になってもこれは変わらなかった。
書道の時間である。
まず、いくら墨をすっても書道を習っている子のように、きれいな濃さが出ないで、「よしもういいだろう」と思って字を書いても薄い薄いのである。
売っている墨汁だときれいにかけるかと考えて購入してみたが、墨汁はものすごく濃くて今度はにじむのである。
最近聞いたところでは、ある程度すって、市販の墨汁を入れるのがコツとのことだが、純真無垢な小学生であった私はそのような合わせ技があるとはつゆ知らず、せっせとすっては字を書く時間を無駄にしていたのであった。
そして、書道にも片付けの時間はあるのである。私は硯を洗うのも筆を洗うのも面倒で、硯にあまり墨が残っていない時などは自然乾燥に任せていた。そうすると、墨がこれまたガビガビになるのである。パレットの時と同様、とれだけの硯を無駄にしたであろうか。自動硯荒いマシーンがあればどれだけよかったであろう。
筆も洗わずに雑巾でぬぐうだけにしていたことが多かったので、そうすると、当然筆もガビガビになるのである。ただでさえ下手な字が、ガビガビの筆で書くことによってさらに下手になるという悪循環。
時には筆の先か左か右に曲がって固まってしまっていて、どのように書いても曲がった字しか書けないていたらくであった。
いやはや。