読書日記「百年の孤独」
他の弁護士から、経営について「いろいろ考えているやろ?」と言われることがままある。一部の知人からは、「うちと一緒でトップを目指しているやろ?」とも言われている。
しかしながら、これは私のことを随分買いかぶっておられて、私自身は、何も確たるものは持っていない。まあ人並みにホームページを開設したりしているが、あまり立派なものを作っても、それはそれで高級感あふれる事務所のようで敷居が高いのではないかと考えて手作り感あふれるようなホームページにしているとかくらいの工夫しかしていない。
このブログも、一般の人の弁護士に対する誤解を解いたり、敷居を低くすることに寄与すればよいとか、若手弁護士や司法修習生に向けて弁護士の心意気のようなものを書いているので、経営には全く関係がない。
トップを目指していると決めつけられたこともあるが、まずもってトップの定義が問題である。売上でトップなどというと東京の事務所に敵うわけがないし、これはトップの意味合いにもよるであろう。少なくとも私自身にはトップを目指している意識は全くない。ただ、誰にもマネの出来ない事件解決をすることが出来る弁護士を目指してはいる。他の弁護士が困った事件を「一緒にして欲しい」と言われる弁護士ではありたいが、これはトップとは違うであろう。
経営についていえば、新しいことをして一般的に顧客を開拓しようとすることもしていないし、先行きどうしようというビジョンもない。こういうことを書くと、いい加減なように思われるかもしれないし、野心がないと言われるかも知れないが、私自身がそういう男であるので仕方がない。
事務所に縁があって来られた依頼者が、私の事務所に依頼してよかったと思って貰える仕事をしたいと考えているし(もちろん事件によっては資料もなく依頼者側の事情で限度があることも事実だが)、依頼者のためにベストを尽くして、その結果、顧客がまた新しい顧客を紹介してくれて…という旧来型の経営を別段今のところ変えるつもりもない。経営者気質があまりなく、職人気質が大半を占めているといえるであろうか。
経営のための新規開拓とか、顧客層開拓のためにいろいろな会合にほとんど出ていないのも、そうしたことが何となく嫌いだということもあるし、今引き受けている事件に注ぐ労力が少なくなるような気もして(単にズボラだという説もあるが)、そういうこともしていない。していないからといってしなければならないかと考えているかと言われると、しなければならないという気持ちもない。
大手貸金業者の顧問を1件、損害保険会社の顧問の話をこれまで3回ほど断っているのだが、これもまあ他人から見たら、今みたいな時代に、「もったいない」と言われている。
弁護士が4人になっているが、これも成り行きでそうなっただけで、何かを意識している訳でもない。
まうこんな安易な考えではこれからの時代生き残れないかも知れないが、私は広告を出しまくって依頼者と合わずに過払いばかり引き受けて多額の収入を得て、それでよしとするような弁護士には絶対になりたくないことは確かである。
背に腹は代えられない時が来るのかなあと思ったりしているが、果てさてどうか。