読書日記「百年の孤独」
正式な宴会の時、上司とか先輩が中々帰らないとつらいものである。特に、その上司や先輩の慶事などだと、絶対に先に帰る訳にはいかない。
弁護士の場合、プライベートで飲みに行っている時はある程度自由であるが、いくら自由業だといっても、正式な宴会ともなるとそういう訳にはいかないところがある。
しかし、こういうとき、先に帰ると、そういう人は評価してもらえない。いくら宴会に顔を出してもだめである。顔を出したからオーケーではないのである。体調が悪いとか、よほど正当な理由がない限り上司とか先輩よりも先に帰るというのは社会人としてもしてはならないことである。
「明日仕事があるので」というのは理由にならない。皆明日仕事があるのである。
そういう中で最後までつきあい、翌日歯を食いしばって仕事をするという姿勢の弁護士は周囲からも評価される。
まあこれは、社会人として当たり前のことであるともいえるのだが。
私はボスの慶事には常に最後まで居た。勤務弁護士が先に帰るというようなことはあってはならないことであると当然に分かっていたし、そのようなことを考えたことすらなかった。
それすらも分からないようでは、いい仕事など出来ようはずもないと思うし、社会人としての自覚がないと言われても仕方がないであろう。まあ実際ないということだと思う。
「帰ります」と言われれば、周囲は「いいよ、いいよ」と言うであろう。
しかし、本当のところは誰も帰っていいなどと思ってはいない。人の言葉には裏がある時もあるのである。誰しもが「エッ」と驚く行動を取る人に対しては、当たり前のことを注意しても理解して貰えないのではないかと思って直接言ってくれないだけなのである。
そして本人が帰った後で、「本当に帰った。信じられへんわ。」などと言われるのである。そうして、どんどんそうした人の評価は下がっていく。そして一度下がった評価を取り戻すことはなかなか出来ない。
そうした人物をいつまで会社が置いておいてくれるかということもこの不況の世の中だと当人は考えなければならないであろう。
たかが宴会と侮るなかれ、人は皆、あなたの行動を見ているし、一度失った信頼を回復することは極めて難しいのである。