読書日記「百年の孤独」
今から思うと恥ずかしいことも随分したが、勤務弁護士の頃はとにかくよく働いた。独立してからさぼっているという訳ではないが、勤務弁護士の頃は働きすぎて一時頻脈が出て体調を壊したこともあった。最高時は手持ち事件が自分の事件と合わせると200件くらいになっていたこともあった。そのうち、大手顧問先の定型的事件が90件ほどであったが、この顧問先は出張が多い顧問先で、出張も行きまくっていた。1日8件電話会議が入っていたこともある。
弁護士になってまず先輩に言われたことが、「最低給料の三倍働け」ということであった。給料分すら中々働いているという実感が持てなかった私は、とにかく事件を配点されるとその頃出来る範囲でやれることは全てやった。
事件のことを考えていて眠れなかったこともしばしばであるし、眠る前にパソコンに向かって事件のメモを打ち込んでフロッピー(当時は今みたいにUSBがなかったのである)で事務所に持っていってそれを元に考えたり、訴訟の行く末によっては依頼者の人生に多大な影響が出ると考えられる事件では、胃が痛くなり食事が喉を通らず、きりきりした胃で吐きそうになりながら法廷に行ったことも何度もあった。
周囲からは私は仕事であまりストレスを受けないタイプだと思われていたし、今もどちらかというとそう思われているようであるが、あまり表情に出ないのでそう見えていただけであって、弁護士の仕事は恐ろしく、そんな生やさしいものではないのである。ストレスを感じない人がいれば、それは仕事の怖さを知らないからである。
たまに1年目からやたら自信があるタイプもいるが、こういう輩は弁護士の仕事の恐ろしさを全く分かっていないので、絶対にいい仕事は出来ないし、こういうタイプに限ってやっている仕事を見ると大変大変お粗末である。それで出来ている気になっていると周囲からは笑われる。
だいたい、弁護士の仕事はある程度経験がないとどうしようもない部分もあるので、1年目から出来るはずがないのである。自分はやれているか、まだまだ不十分ではないかと常に自問自答する姿勢でいなければ成長はないであろう。私自身、13年経った今もそのような気持ちでやっている。
若い頃は、事務所に来ると、緊張感や仕事のことばかり考えていて、仕事以外の事を考える余裕もなかったものである。事務所にいる間は仕事モードであり、行き帰りの電車の中でこれをようやく(一部)切り替えられるのである。なぜ一部かというと、自宅でも仕事のことを考えているからである。
私は、若いにもかかわらず事務所に来て仕事以外のことを考えていられたり、自宅で完全に切り替えられる弁護士がいるとしたら、自分の経験上、それは真剣に仕事に取り組んでいないことのあらわれであるとしか見えないし、実際そうなのであろうと思う。そんな余裕などあろうはずがないからである。ワーカホリックと言われればそれまでであろうが、ある程度ワーカホリックでないと弁護士の仕事はつとまらないのである。
今はさすがにある程度経験が出来たので、私自身そのようなところまで緊張していないし、事務所でもサッカーのこととかいろいろ考える余裕もあるが、若い頃はそんな余裕はなかった。
前にも書いたかも知れないが、あるゴールデンウィークの谷間に、出勤している弁護士は事務所で私だけであった。ボスも私の後輩も遊びに行っていたのである。「休んでもいい」とボスに言われていたが、私は自分が遊ぶよりも何よりも、この谷間に仕事をしようと思って出勤した所、新件の相談が集中して、さらに忙しくなったこともあった。
交代で出勤していた事務員さん達からかなり同情されたが、その頃一緒に働いた事務員さんは、独立した今でもバレンタインにチョコとプレゼントをくれる。私が事務所の為に働いていた姿を評価してくれたからだと思って、大変嬉しいものである。
事件を真面目にやるといい解決が出来て、それが自信になり、その後の事件をする素地にもなる。
その後手を抜いていいという訳ではないのだが、最初の5年間頑張らないと、生涯その癖が抜けないし、最初の蓄積もなければその後の事件処理は出来ないと思う。
遊ぶのは後でも出来るが、蓄積をするには若い頃しか出来ないのである。
甘すぎる若手弁護士が増えているが、そんなことでは依頼者にも信頼されないし、いつまで経っても自信もつかないであろう。