読書日記「百年の孤独」
私の親父は外面がいいので、だいたい他人からは「いいお父さんですね」といわれる。
しかし、たいてい私は、「いえいえ、外面がいいだけですから。」と答える。
そういうとたいてい「そんなことないでしょう。」という答えが返ってくる。
しかし、これは謙そんでも何でもなく、本当にそうなのである。
外面がいい代わりに、家族には冷たいというか、超自己中心的なのである。
離婚事件で外からは分からない話を聞いていて、「たぶん周囲の人は、えっ。あの人が…?となると思います。」などと依頼者が話をしても私はふんふんとわかるわかるという感じになるのである。
どれだけ自己中心的かというと、その中でまだ話が出来る話を書くと、
1、母親が40℃近い熱を出して寝込んでいた時に、どうしても出かけたかった親父は、タオルを水につけて、ほとんど絞らない状態で丸めて母親の頭にポイと置いて出て行ったという話や(私は小さくて母親の面倒を見られる年齢ではなかった)
2、私に「京大に行け」といいながら、共通一次試験(私は共通一次試験の最後の年の受験生であった)の1週間前の追い込みの時期に、「演歌の花道」を見ながら大声で演歌を歌ったりしたり(あまつさえそれにキレた私に逆ギレしかえして来たのである)、
3、親父の田舎からの帰り道に渋滞に巻き込まれ皆空腹であったところ、高速道路の休憩所にあったカップラーメンの自販機の最後のカップラーメンを子どもに食べさせることなく全部自分で食べたり(それが最後の一個で、店も閉まっていた)、
4、私が大学の時に父親の長年乗っていた自動車で事故をして廃車にしてしまった時に私の身体を心配しているのかと思いきや、それよりも「廃車やな」と廃車になったことを確認し、新車が買えるのでうきうきしていたり、
5、小学校高学年の時に父親がしているポイントがよくアイナメが釣れていたので竿を出そうとすると、「お前、俺のポイント取るなや!!」とキレてきたり、
というようなことが思い出される。
これはまだ書ける話を出しただけであり、本当はもっといろいろある。
私は無愛想といわれることが多いが、外面がいいのに中身は自分勝手というようになるよりはましだと思っている。
親父は最近私の近くに越してきたのであるが、飯を食いに行っても絶対にお金を支払わずさっさと出て行くのである。お年玉を母親だけにあげていたところ、すねてしまったので翌年からはあげたところご機嫌であったりする。
要するに子どものままなのである。