読書日記「百年の孤独」
不思議に思うことがある。
麺類は世界のどこにでもたいていあるようであるが、穀物を粉にして麺の状態にして、ゆでて食べるというのは誰がどうやって考えたのであろう。
米にしても、生米の状態から、あれを脱穀して精米し、炊いて食べるというプロセスまでには飛躍すべきポイントが多々あると思うのである。
何かの本には書いてあるのかもしれないが、我々が普通に食べている食事も、「これがいつどのようにしてこういう風に食べるようになったか」と考え出すと不思議である。
魚を焼いたりするのとは訳が違うのである。
そのほかにもプリンとかケーキとかを考え出した人はどういう頭だったのであろう。
レシピを考えつくのはどういう時なのであろうか。
不思議だ。