読書日記「百年の孤独」
生き残るために人の肉を食べたことによる苦悩を描いた作品としては「ひかりごけ」などが有名である。
戦国時代には籠城の際、兵糧攻めをされた時に牛馬を殺し、壁土を喰い、それでも食べるものがなくなると死者が出た場合にこれを喰らったという記録があるが、平時に人を食べるという風習はこの日本にはないようである。飢饉の時にそのようなことがされたという記録もある。
司馬遼太郎の項羽と劉邦を読んでいると、その頃の中国では食人の風習があったようである。劉邦の妻である呂皇后は、劉邦の死後恐怖政治を行い、漢帝国樹立に功があった功臣を殺し、その肉をハムにして、自らも食べて臣下に贈ったという記録があるようである。
三国志の原典では、劉備玄徳が雪の中を彷徨い、飢えていた時に助けて貰った際、その家では食べるものを差し出せなかった為に、その主は妻を殺してその肉を食べさせて、劉備は命をつないだという逸話が書かれている。劉備も人を食べさせられたことに苦情をいわず、むしろ主の行為に深く感謝したという話である。
この話は日本人受けしないために、主が大事にしていた盆栽か何かで暖を取ったという話しに変えられているはずである。
日本では死によって全ての罪が許されるという感覚があり、死んでしまった人の墓を暴いてむち打つというようなことはせず、蘭学者が刑死した罪人の肉体を解剖したときも、罪人が「死によって罪は償われたのになぜ死後まで辱められるのか」と騒いだ記録が残っている。
中国では、復讐のためや新王朝が成立した時には、仇や前王朝の墓を暴き、死体に鞭をうつということが行われていた。食人の風習も死体に至るまで辱めるというこのような感覚と無縁ではあるまい。
変死した死体を解剖することに遺族が感情的に抵抗感があるというのも、こうした日本人の感覚と無縁ではないのだろうと思う。生きている間に辛い目にあったのに、死んでからも体が切り刻まれるというのは耐えられないというところである。
ロシアなどでは死体に遺族に所有権はなく国が自由にすると聞いたことがあるが本当だろうか。
死の病原体プリオンという本を読んだ時には、食人の風習がある部族で、男性だけが食人出来るので、男性にだけ死体にあったプリオンが体内に入り、狂牛病の牛のようになってしまう場合があるという記載があった(蛋白源が少ないため、食人によってこれを補うというのである)。
いささかグロテスクな話となってしまったが、私は極限状況になってもそうした行為には及べそうにないし、及んだ日本人は通常は「ひかりごけ」のような苦悩を負うのであろう。