読書日記「百年の孤独」
司馬遼太郎は、覇王の家などで、家康が、「適度な運動が健康によい」ということを知っていたとして、家康が鷹狩りを好んだのは適度な運動をするためであったという趣旨のことを書いていたと思うが、この点でも家康はすごい。わかっていても中々出来ないことをするからこそ天下をとれたのである。
本当に健康にとって運動は大事である。
運動神経のよい人もそうでない人も、自分に合った運動をすることで健康的になれる。中々そうはいうものの私も日頃運動不足である(サッカーはせいぜい月1程度なので)。
裁判所と事務所の往復は歩きだが、片道10分程度だし、片側にカバンをかけているので腰にはあまりよくない。リュックサックを買って背中にしょって往復しようかとも考えたが、スーツにリュックサックは私の美意識が許さない。見ていると弁護士でもけっこうリュックサックは多いのだが。他人がしているのは別によいのだが、自分ではいまいちする気になれない。
右膝半月板を損傷した時には、そうもいっていられないのでリュックサックをしょいこんで歩いていた。脚を悪くすると、脚に障害を抱えた人がとれほど不便をしているかが分かる。
独立直後に怪我をしたのであったが、それ以来、杖をついている人を見ると目がいってしまう。
話が逸れたが、運動不足気味ではあるが、全く何もしていない訳ではなく、多少は鍛えている(内容は秘密だが)。劇的に効果が出ない程度の運動なので、周囲には気づかれないが、多少は節制しないと、37歳でサッカーをしようとしてもサッカーは出来ないのである。本当は劇的に効果が出るくらい鍛えて20歳のときの体力と割れた腹筋を取り戻したいのであるが、中々日々の仕事に追われてそこまでは出来ない。
ゴルフも勧められるが、ゴルフは何年も前にやめて、従兄弟にクラブもやってしまったので、やるとなれば一からクラブをそろえないといけないし、打ちっ放しにも行かないといけないし、サッカーが出来るうちはサッカーをしたいし、出来るだけ悪あがきをしたいので、たぶんゴルフをするとしても相当先であろう。いまや私の中ではゴルフは爺さんのスポーツのイメージとなった(私にとってというだけなので、一般的にそうであるとは言っておりません)。
私は昔から球技はほどほどに出来るが、器械体操とか水泳は苦手である。全然泳げない訳ではないが、中にはなんでも出来る人もいる。
なんでもスポーツが出来る人はうらやましい。
運動の秋である。