ものの言い方ひとつ

中隆志

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 ものの言い方というのは大変重要である。ものの言い方ひとつで、事件が泥沼化することもある。たまに、相手方弁護士の電話でのものの言い方が気に入らないから、戦いたいという話も聞く。
 ちょっとしたことで人間同士の関係が崩れるということであろう。私はとことん闘う相手方でも、なるべくは話を聞こうとしているし、普通に話しをすることにしている。よく、相手方弁護士に電話したら、話も一切聞かず、「内容証明に書いたとおりです」と冷たくいわれたという話も聞くが、一応相手の話は聞くべきであろう。

 ものの言い方に関しては、人に対する怒り方というものもある。私も経営していると、部下に対して罵って怒鳴りつけたい衝動にかられることもある。しかし、叱られたり注意をされる方からしても、そのような叱られ方をしてはやはり同じ人間として面目が立たないであろう。
 そのため、出来るだけ、注意する時は普通の言い方で、注意すべきことだけを伝えるようにしている。
 このときに怒りの感情を込めると言われた方も萎縮してしまうであろう。仕事上の失敗を注意すれば足りるのであり、その人間そのものを否定するようなきつい言いようであるとか、無用に厳しい言い方は何も生まないと思われる。
 失敗した人間は自分の失敗を指摘された時点で認識しているのであるから、傷口に塩をすりこむようなマネは出来るだけすべきではないと思うのである。
 もちろん、経営者にも我慢の限界というものはある。

 この点、注意の仕方も度を超すと、部下に対して地位を利用したパワーハラスメントとなりかねず、違法行為となる。パワーハラスメント行為は民事上不法行為となり、部下に対する慰謝料の支払い原因ともなるであろうし、それが中間管理職であれば、場合によれば懲戒事由になるであろう。
 仕事上もやはり人間同士一定の配慮というか遠慮は必要である。それがない人間はそもそも組織での仕事に向いていないであろうし、そうしたことが出来ない人間はプライベートな部分でも他人とのかかわりの中でうまくいくことはないであろう。
 
 仕事上での注意の仕方ひとつで、社員がやる気をなくとして退社するということは十分ありうる。中間管理職がそのような有能な部下を退社させた場合、管理能力が問われても仕方がない。通常はもっとも我慢しているのは経営者である。自分自身でない以上、自分の思うようには出来ないことが当たり前であるから、ある程度のところで妥協することも人を雇用する上では必要である。もちろん、経営者が暴君の場合は、社員が大変であるが、そうしたところは社員も長続きしない。

 これよりもひどいのが、気分によって部下に対する態度を変えたり、ささいなことで叱責する経営者や上司である。そうした時のものの言い方ひとつひとつが、その人の人間としての評価を下げていくことになる。
 そのような人は、組織の大小にかかわらず、人間の中で仕事をすることに向いていないのである。1人で仕事をする仕事(芸術家などであろうか)をすればよい。一般の社会の中で生きて行くには、人間としてはあまりに大きい欠陥である。
 しかし、心もち一つというか、心がけ一つで是正は可能であるともいえる。もっとも大きい問題は、自分のものの言い方が悪いとわかっていないことが往々にしてあるということである。
 自分ではそうしたつもりがないのに、相手を不愉快にさせた経験がある人は、少し思い返してみた方がいいかもしれない。ただ、えてしてそういう人は、「自分は間違っていない」と思いこんでいたりするが。
 (これは私自身に対する反省というかこうあるべきという記事でもあるので、私が完璧な経営者であるといっている訳ではない。)

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