読書日記「百年の孤独」
控訴するかどうかについて依頼者と打ち合わせをする時に、一審判決がよく書けていて、これではやむを得ないということになると、依頼者としても、「裁判所が自分の主張も検討した上で敗訴したのであれば」としてある意味心地よい敗北で事件が終了することになる。
その一方で、一審判決がずさんだと、そのような心持ちには依頼者はなれずに、「控訴したい」という気持ちになる。
しかし、控訴するとしても、そこにかかる労力などを考えた時、依頼者は、ずさんな一審判決をもらった時点で司法に対する信頼感が欠落していて、「裁判ってこんないい加減なものなんですね」として、裁判制度に対する信頼を失った結果、控訴しないこともある。
控訴しない理由には費用的な面、本人が労力に耐えられない等の精神的な面もあるが、一つにはずさんな一審判決をもらったが為に意欲を喪失させられたというものもある。
控訴が出ないからといって、裁判官がここのところを誤ると、さらなる司法に対する不信感を増加させるだけである。
意を決して控訴しても、控訴審においても、中々信頼出来る裁判官には巡り会えないと周囲の弁護士もよくこぼしている。記録を検討していないどころか、記録を読んでいないことも多いし、判決書を見ても証拠を見ていないことが丸わかりの判決をもらうこともある。
とにかく結論よりも和解を勧めてくる人もいる。
従って、地裁でも高裁でも、時折出会う信頼できるというか、素晴らしい裁判官は余計に素晴らしく見えるのである。
素晴らしくない裁判官って自省しないのかしらん。