読書日記「百年の孤独」
検察官を定年退官されて弁護士をされている先生と話をしていると、「最近の検察官は質が落ちた」と嘆いておられた。
昔はよかったというそういう懐古趣味ではなく、「記録を読んでいない」「公判の準備をしていない」「被疑者に怒鳴りまくる」「被告人質問の体をなしておらず、単にいじめているだけ」という検察官が増えたような気はする。
検察官は微増していて、検察官を少し前にしていた同期と話をしていても、「今の若手検事はかなり楽」ということを言っている。昔は夏休みなんて取れなかったそうだが、今は逆に取るように言われるとのことである。
まあそれでも激務であることは間違いがなかろう。激務の中で、中々時間がなくて自白が取れないで怒鳴ってしまったり、知らず知らず手を抜くこともあるのかもしれない。ただ、だからといってそれがいいという訳ではない。
私が札幌修習時代に公判部でお世話になったM検察官という人は、すごくキレる(頭が)人であるとともに、仕事に誠実であった。
刑事事件では、検察官は証拠関係カードというものを作ってそこに証拠の標目を書くのだが、そこにいつも要旨を鉛筆で書き込んでおられた。
刑事事件では証拠に対して弁護人が証拠にすることに同意をして証拠採用されると、裁判官が検察官に「要旨の告知」をするように指示するのであるが、多くの検察官は、その場で証拠の表題を読み上げているだけであったりする。
若手検事もそのようにしている中で、M検事はコツコツと要旨を書き込んでおられたので、当時修習生であった私は、どうしてか聞いたのであった。
そうすると、M検事は、事件は個別であって、検事にとっては数多くある事件の一つでも、被告人や被害者にとって、それは唯一の事件かもしれないので、手は抜けないのだという趣旨のことをおっしゃった。
当時まだ甘ちゃんであった私にとってこれはやはり衝撃の言葉であった。プロの姿勢を思い知らされたような気がした。
M検事には若手検事や他の修習生と時々焼き鳥屋さんに連れて行ってもらえたりした。
M検事も私の一方的思いこみの師匠である。
今は相当出世されたように聞いたので、公判立ち会いもされなくなったのであろうが、M検事の気質からすると、現場に立ちたいのではなかろうかという気もする。