読書日記「百年の孤独」
弱り目にたたり目というが、運気が落ちている時というのは確かにある。
これは全ての人に共感出来るのではないだろうか。
逆に何をしてもうまくいく運気に乗っている時もある。
弁護士の場合でいうと、事件でいけば勝ちまくり、新しい受任事件もたくさん入ってくるというようなときがある。
これはどうしてそうなのかが分かれば、本を書いてミリオンセラーになるであろうし、巷にもそうした本は出ているが、表題からしてマヤカシ的作品であるとしか見えない。そんな真理が簡単に得られるようであれば、禅宗の坊主や戒律の厳しい宗教で一生かかって神や仏の真理を探究していいる人たちの人生を否定することになる。
こうなる理由を考えてみると、一つには、弁護士として運気が落ちる時というのは知らず知らず自分で事件の筋を考えている時に固定観念にとらわれてしまっていたりしている場合がありうる。弁護士も人間なので、調子のよい時にはどうしても調子に乗ってしまう。そうすると、どうしても検討がおろそかになっていたりするが、中々本人としては気づかない。
私は過去、若い頃に調子づいて事件の見通しについて甘く見ていた為に失敗したこともあるので(何とかリカバー出来たが)、そうした気持ちは少しずつなくなってきたと思う。
ただ、そうした本人が調子に乗った結果失敗したような場合ではなく、すべきことを全てせい一杯しているのに結果が出ないで、どうしようもない結果ばかりが押し寄せる時もある。
そんなときはじっとして、運気が戻るのを待ちつつ出来る範囲の努力をするしかないのかなと思うのである。
これから暑くなる矢先に寝室のクーラーが突然壊れて生暖かい風しか送り出さないなどということは避けようがないのである。