読書日記「百年の孤独」
ほんまのア○にア○というと怒るというのが大阪でよくいわれることだが、弁護士の中にもほんまのア○は(一定割合)いる。
そうした弁護士は、誰からも評価されないので(別に評価されるために弁護士している訳ではないのに)、焦るのである。焦るために、批判をするようになる。とにかくなんでも批判して反対する。そうすることで、俺って賢いだろ?というのをアピールしたいのである。
しかし、狼少年の話ではないが、いつも同じことを言っていると効き目がないのである。100いう中の1いいことを言っていても、「またあのア○が反対してるわ」となってしまうのである。徳川家康のような人間通にならないといけないのである。
意見を述べたりするにもタイミングがある。考えるよりも先に反対していると、「考えてないな」というのが分かる。意見を述べるのはボクシングのカウンターに似ている。
だいたい議論している時、私は時々怖いといわれるが、それは考えている時のようである。会議などの進行役をすることが多いので、議論を整理する時整理しながらまとめて議論を終結点に導く時に頭はもの凄く使う。
そうした時に(申し訳ないが)しょうもない意見が出たら、ばっさり切ることもある。ぼかして切ることもある。そのような意見もあるということで整理しようといいながら、実は議論の最後で無視していえないように持っていくこともある。
こうして書くとなんだか私は悪人みたいだが、意見を述べるには間合いとか潮時とかいうことがあるということなのである。
逆にたいしたことのない意見でも、出し方によっては人の印象に残り、「あの人デキる」と思わせることも可能なのである。