読書日記「百年の孤独」
法律家の仕事は他の仕事同様楽ではない。肉体的というよりは精神的疲労をする。
それは、紛争のただ中に入っていく仕事だからである。
今は社会的には弁護士の地位は高いように思うが(一部の品のない弁護士のおかげでそうともいえなくなっているかもしれないが)、日本人は紛争を「ケガレ」たものと見るので、弁護士は昔はケガレ仕事であった。
ケガレ思想により貴族は戦いを辞めて平安時代には国家の軍隊がなくなるという世界的にみて異常な事態となったのである。そして、そうしたケガレ仕事は他の人に任せた結果、武士が台頭して政権を奪われるに至るのである(逆説の日本史などに詳しい)。
紛争を他人に代理して任せるというのは、「ケガレ」に関わりたくないという日本人の発想に適ったことであるということも出来る。
弁護士は三百代言とかいわれていた時代もあるが、今は様々な変遷を経て社会的には高い地位を得ているように思われるが、紛争のただ中に入っていくということに代わりはない。
依頼者との打ち合わせや裁判業務以外に、事件の調べ物をしたり、考えたり、訴訟の準備をしたり、書面を書いたりなどという依頼者や裁判所に見えないところの作業も多いため、そのあたりを依頼者から評価して貰えないこともある。
事務所を出ても事件のことを考えていることが多く、事務所にいる時間以外も仕事のことばかりである。これは、事件に責任を負う気持ちが強い弁護士ほどそのような傾向があるように思われる。
肉体的作業よりは知的作業が多く、精神的疲労の方が大きい。
ロースクール制度がどうであれ、合格者数がどうであれ、法律家として何をしたいかということを踏まえて実務家にならなければ、現実とのギャップにとまどうであろう。