読書日記「百年の孤独」
弁護士をしていく上で、調べ物をするのが好きというか苦にならないという資質も重要である。検察官も裁判官も同じかもしれない。難解なところがある事件について、「ああでもない。こうでもない」と悩むのが弁護士の醍醐味であるともいえる。いつも勝つことが決まっている事件や同種の事件ばかりやっていては味わえない喜びである。
事件のために類似した事件がないか裁判例を調査するのはもっとも典型的な調査だろう。今は判例検索があるのでやりやすい。昔は、加除式出版の各条文についての過去の裁判例の見出しが載っている本があって、勤務弁護士時代は随分書庫でこの加除式と格闘し、それから判例時報や判例タイムズの裁判例集にあたったものである。
今は判例検索があるので、検索すればそこにいろいろと書いてあるので、関係しそうな裁判例をだいたいあたれるので大変ありがたい時代である。
ただ、直接ばしっとあたる裁判例などないので、裁判例の考え方を研究して本件事案ではどうかというあてはめをするしかないのであるが。
法律の専門書で調べるのもまた楽しみの一つである。論文集などを読んで研究して、論文のような準備書面を書くこともたまにある。裁判所にそれが受け入れられるかは全然別個の問題であるが、調査して突き詰めていく作業は愉しい。ドイツ不法行為記念論文集とか、転換期の取引法とか、およそ2度と読まないような論文集も買い込んで来て準備書面を書いたこともある(一つはそのおかげで和解出来るはずのない事件が和解でき、もう1つは現在進行中である。ちなみに、和解出来た事件は私の元ボスのせいで起こった事件である。内容はとても怖くていえない)。
法律以外の専門書で調べるのもまた愉しいことがある。仮説を立てて、それに合う文献や合わない文献などを取捨選択して調査していく作業である。
残念ながら、こうした作業は書面作成にどれだけ労力がかかったか依頼者に分からないのと同様、調査作業は依頼者には中々分かってもらえないと思う。主張を整理するためにつけた資料の何倍もの資料を読んでいることもあり、それらは依頼者に関係がないので渡さないことが多い。東京や大阪では、タイムチャージで請求する事務所などは、どれだけ仕事をしたかということを依頼者に説明するために(アピールも含まれている)、全ての調査した資料を渡すという話しも聞いたことがある。
もう一つ残念なのは、一つ一つの事件が個別で全然種類も違うと、一つ一つの事件に極めて労力と時間がかかることである。私は特定業務の仕事が多いということがないので、効率は非常に悪い。時にはそれがつらいと思うこともあるが、調べ物をしている時はかえってそれが愉しく感じるのである。