読書日記「百年の孤独」
倫理と法律は違う。
よく、相談を聞いていると、「そんなことがまかり通れば世の中がおかしくなる」とか「道徳はどうなるんですか」と言われて怒っておられる方がいる(私にではないが)。
裁判は証拠によるので、証拠がなければ負ける。たとえば、その人本人が借金を返済したとして、領収書ももらわず、借用書も返還されていなかったとして、貸主が手元に借用書があることと、領収書を出していないことを奇貨として、貸金を請求してくるような訴訟を出してきたとき、支払ったという証拠が認められなければ負けてしまう。裁判における事実は歴史上の事実と同じであり、裁判官だってタイムマシンに乗って過去にいける訳ではないから、現在ある証拠からすれば、「こうだっただろう」という推測に過ぎない。歴史的事実に異説などがあるのと同じである。
しかし、おさまらないのは本当は支払ったのに再度「支払え」と命ぜられた本人である。本人は支払ったことを本人自身分かっているから、これと異なった判決が出たとしても承服できないのである。
倫理上は、支払ったことを知っていながら再度貸金請求をするなどということは許されないが、法律の世界では証拠がなければ負けてしまうということである。「社会道徳がおかしなくなる、先生、それでもいいんですか」と怒られるが、私は宗教家ではないし道徳を研究している訳でもなく、弁護士という法律家であるので、法律家としての答えしか出来ない。もちろんある程度カウンセラー的なこともするのであるが、あくまでカウンセラーではなく弁護士であるので、法律家としての回答を越えることは出来ないのである。
倫理と法律とを分ける区分は難しいところもあるが、ごく簡単にいうと、法律はある一定の行為を行ってそれが法に違反している場合には国家が制裁を加えられるものであるけれど、倫理違反というだけでは世間的とかコミュニティでは制裁があるかもしれないが、国家権は発動出来ないのである。そこに大きい違いがある。
私が宗教家とか政治家であれば、世を憂いて倫理を法律まで高める努力をするのであろうが、いち弁護士のまま出来ることをするしかないのである。