修習時代の釣り-後半-

中隆志

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本屋に行った私は、「慟哭の谷」(木村盛武著、共同文化社)という本を買ってきた。史上最大のヒグマが人を襲った悲劇ということに惹かれて読み始めたのであるが、怖い。ヒグマはとてつもなく怖いヤツだったのである。本土の方のツキノワグマは大きくなっても知れているし、ツキノワグマが人を喰ったという話は聞かない。一方、ヒグマはとてつもなく怖いヤツで、人は喰うわ、漁師に罠はかけるわ(漁師が熊の後を追っていると、途中で自分の足跡通り後戻りして、そこから茂みの横に飛ぶのだそうである。そして、漁師が通り過ぎるのを待ち、熊の足跡を追って前方に行った漁師を後ろから襲うのだ)、恐ろしいヤツであった。

 1915年の北海道がまだ開拓時代であった頃の話で、苫前村というところで、8人の村人が一頭の熊に喰い殺されたという事件である。しかも、最初の犠牲者の通夜をしていたら、そこに熊が襲撃してきて死体を奪っていくという恐ろしい話まで書かれている(熊は、自分の獲物だと思って掘り返しに来たのである)本である。最後は熊は伝説の漁師によって射殺されるのであるが、その間に死亡した村人は8名。この本を読んでヒグマとはなんて恐ろしいヤツだと思い、修習生をつかまえては、この熊害の話をしていたのである。

 ちなみに、作家の吉村昭が、この話を元にして、「羆嵐」という作品を書いている。

 私は渓流釣りがしたかったので、渓流に行きたかったが、渓流は山奥であるので、羆警報が必ずあるのである。そうではあったものの、何回となく渓流には皆で連れ立って行ったのであるが、羆にびびりながらの釣りでは中々釣果はあがらなかった。修習生は誰も釣れず、検察庁の事務官がニジマスを釣り上げたのがせいぜいであった。

 その後、ワカサギの穴釣りや、小樽漁港でのソイ釣りなどにシフトし(特に後半はやたら小樽漁港での釣りが流行った。また別の機会に書くこともあるであろう)、渓流には何回かしか行けなかったが(修習の研修旅行で利尻礼文島でも渓流釣りをした。これもそのうち書いて見たい)、こちらに戻ってくると、羆が出ない渓流というのは本当にいいものだとつくづく思う。

 その一方、最近は羆も減少しているように聞くし、北極の氷がなくなればシロクマも生きていく場所を失うことなども思うと、この地球がいつまで保つのかという漠然とした不安も感じる今日この頃である。

 杞憂の故事を笑えない日がくるかもしれない。

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