読書日記「百年の孤独」
宮本武蔵の眼力を伝える挿話として有名な話がある。
宮本武蔵は晩年肥後藩の細川忠利(細川幽斎の孫)に仕えたが、その際、忠利より、「藩士の中で、人物はいるか」と問われたところ、たちどころに、「さきほど見かけた人物は相当の人物でござりまする」と答えて、忠利の前に引き合わせたところ、忠利もにわかに思い出せない微禄の藩士であった。この男を都甲金平という。
聞けば、都甲金平は、臆病な気持ちを自分からなくすために、毎夜抜き身の真剣を自分の頭の上に細い糸で吊して寝ているという。最初のころこそ恐ろしくて眠ることが出来なかったが、今ではその状態で熟睡出来るようになったというのである。
武蔵は、ただ一目で都甲金平のこのような心魂を見抜いたのである。
さらに、都甲金平は、武蔵の死後に武蔵の人物を見抜く目が正しかったことを体で証明するのである。
江戸城が大火によって焼失したために、各藩に江戸城の修復工事が命じられた際に、細川藩の石奉行はこの都甲金平であった。
細川藩は、どの藩よりも早く石を調達して作業を終えた。このとき、作業に間に合わないため金平が他藩の石を盗んだという説と、あまりにも手際のよい細川藩の作業に他藩が妬んで「細川藩は石を盗んでいる」と幕府に訴え出たとする説があるが、ともあれ、金平は幕府により石を盗んだ罪で捕縛された。
当時は今のような刑法や刑事訴訟法はないから、自白を取る手段は拷問である。とがった石の上に正座をさせられたり、膝に穴を空けられてそこに醤油を入れられたりする拷問がなされたが、金平は泰然としてこれに耐え、「石を盗んだ」とは言わなかったのである。
ありとあらゆる拷問に耐え、金平は無罪放免され、細川藩の体面を保ったのであった。
このような苛烈な拷問に泰然として耐えた金平のものすごさは当然であるが、この金平の性根をちらりと見ただけで見抜いた武蔵の眼力には敬服するばかりである。
剣の修行を積んだ人物には一種の予知能力があるようであり、昭和初期の剣豪も、友人と歓談していて、友人が帰ろうとするとこれを引き留め、「もうすぐ誰々君が来るから少し待っていたまえ」というので友人が待っていると、本当にくだんの人物が現れて驚いたというような話が伝わっている。剣豪に聞くと、「○○君が家を出るところが見えたような気がしたのだ」というのであるが、武蔵もこれに似た能力を持っていたのであろうか。
弁護士業に邁進して、このような能力が身に付けばいいのであるが、私には武蔵の境地はヒマラヤの頂上よりも遠いようである。