読書日記「百年の孤独」
弁護士稼業をしているといろいろ腹が立つことがあるが、日常的に腹の立つこともある。
司馬遼太郎の「国盗り物語」であったか「覇王の家」で記載されていたエピソードであったか忘れたが、織田信長は小姓を呼んで「何もない」として返すことを繰り返していたところ、3度目に呼ばれた小姓が畳の上に落ちている塵を拾い上げ袂に入れて退出した後機嫌を直し、「あれが武士というものだ」といったというが、信長のみならず日常的に気を配るというのは大事である。
もちろん人間は自分勝手な部分があってこそ生きてもいけるのであろうが、自分勝手ばかりで他人への配慮が全くない人はこれもまただめである。フィリップ・マーロウの有名な台詞で、ある女性から「あなたのようなタフな人がどうしてそんなに優しくなれるの?」と聞かれた時に、「タフでなければ生きられない。優しくなければ生きている資格がない」というものがある(現実にこんなこと言ったらお寒いであろうが、マーロウならかっこいいのである)が、日常でもむかっとすることが多い。
私は電車通勤なのだが、突然改札の入口で立ち止まり、カバンをごそごそやり出して、定期が見つからないのか入口を塞いでしまう人がいる。こうした人は後ろから人が来ていることに気が配れないのである。
歩いていると突然立ち止まるおばさんもいる。本当に急に止まるのである。そして自分の行きたい方向に歩き出す。周りのことを考えない典型である。
道いっぱいに広がって歩くおばさん。こちらの方が歩く速度が速いと本当にじゃまである。せめて2列縦隊にしてくれ。
わざわざ狭いところを通過していき、私が肩からかけているカバンに激突して私に衝撃を与えていく輩もいる。絶対謝らない。広いところを通らないのである。私のカバンは先に存在しており、出来るだけじゃまにならなよう身体に寄せていてもわざわざ狭いところをすり抜けようとしてカバンにあたるのである。
昨日大阪で相手方と面談する予定があり、少し早く着いたのでお茶を飲んで休憩していたら、オバサン2人が自分の性体験を大声で話しをしてげらげらしていた。あの先生はすてきだとか医者の話題をしながら。そういうことは秘め事であり、赤裸々に語るべきものではなかろう。あんたら2人で店にいるのと違うんやでと思っていた。
大きく腹が立つこともあり、そうしたものは電話リース弁護団をやってみたり行動を起こすが、こういう日常の小さい出来事はどうしようもない。
ただ私は悟りが開けるようなタイプでもないので腹が立つし、怒りは仕事をするエネルギーにも転化することも可能である(ただし冷静に)。
仕事上腹が立つことは多々あるが、さすがにブログでは書けない。
やれやれである。