読書日記「百年の孤独」
民事の裁判で判決ではなく「和解」で事件が解決することがある。和解は裁判官にとっては判決を書かなくても済むし上級審に事件が行くこともないので和解ばかりしたがる裁判官もいる。
当事者にとってお互いが譲りながらいい和解が出来ればいいし、そういう和解が出来るには双方の弁護士の能力のみならず裁判官の能力・技能も必要であるが、和解をしたがるがために、双方に「負けます」ということをいう悪い裁判官もいる。こうしてお互いの譲歩を引き出そうとするのだが、これは一種の詐欺である。
裁判官である以上、この事件はこうだからこうなるという道筋を示した上で和解を進めるべきであり、両方に負けるというのは詐欺的発言である。
ひどい例だと、「私は判決と異なる和解は進めませんから」と断言しておきながら、和解が決裂して判決となると和解の時に言っていたことと逆の結論をだした裁判官もいる。和解で勝てるといわれたから判決を取りに行った方の弁護士としてはたまらないであろう。
和解は裁判官にとっては判決を書くよりも楽であるから、麻薬のようなものではなかろうか。あまり強引に和解ばかり進める裁判官は弁護士の中では評価が低い。裁判官人事評価というのが今はあるので、少し気をつけるようになったようだが、出世があまり関係なさそうな裁判官だと好き放題やっていることもある。
裁判官が足りないので忙しいから和解をいきおい進めるのであろうが、裁判官も、人柄知識能力意欲申し分ない人がなるべきであるから単に人数を増やしたところでどうにもなるまい。
やれやれである。