読書日記「百年の孤独」
世間の耳目を集める大事件は一生懸命やる癖に、通常の事件では手を抜いたり、全く事件を考えていなかったり、中々進行させなかったりする弁護士がいる。あるいは、利益が出そうな事件は一生懸命やって訴額の安い事件は全然いい加減な弁護士もいる。そもそも安い事件は引き受けなかったりするのだが。あとは興味のある事件は一生懸命するのだが、興味がない事件は放置してしまうタイプもいる。
もちろん、事件も複雑な事件からそうでない事件までいろいろあるので、全ての事件に同じ労力をかけるということもまた不可能であるが、事件ごとにむらがある弁護士はよくない。一方で、どのような事件でも同じ調子でやる弁護士も事件ごとに対応できていない感じがするので、やはり事件ごとにベストを尽くそうという姿勢が大事であろう。
前にも書いたかもしれないが、私のボスは5万円の費用の事件でも、100万円の事件でも全く姿勢が変わらない人だったし、今でもそうである。5万円の事件でも最後まで「何とかならないか」と頭を絞っていた。
私もその姿勢を見習おうと考えて、冒頭に書いたようなタイプの弁護士にはならないでおこうと心に誓っている。そういう意味では、やはり最初に入る事務所というのは重要である。私はボスの弟子で本当によかったと常々思っている。
事件によっては、中々筆が進まなかったり、調べ物を膨大にしなければならない事件もある。先日は同種事件を調べるために、韓国に日本の裁判所である高等法院というものがあった時代の裁判例があることが分かり、ある大学の図書館にあることが分かり、N西さんの尽力でコピーを取り寄せることが出来たこともあった。また、20冊くらい専門書を読んでようやく資料を見つけ出すこともある。しかしそうした調べ物も弁護士の職業的喜び・楽しみの一つであると考えている。
まあ、むらがないどころかどの事件でも全然仕事をしないで費用だけはバカ高い弁護士もいるにはいるがので、そうした弁護士の話を聞くとげんなりする。まじめに働いている弁護士まで同様の目で見られると思うとぞっとする。
今後弁護士が増えて、拝金主義が横行すれば、余計に事件ごとにむらが出てくるであろうし、費用だけとって仕事をしない弁護士も増えていくかもしれない。
そんなことを考えると、気持ちがどんより、である。