読書日記「百年の孤独」
私は実務家なので、実益のない議論はしない。実益のない議論をして悦にいっている弁護士も多いし、それによって自分が「理論家」であり、何か「偉い弁護士」のように思っている人もいるが、実務家集団の中においては、「結論が同じなんやしどっちでもええやんか」となり、逆にこうした人は敬遠される。
もちろん徹底的に議論すべきところはすべきであるが、枝葉のところで議論する必要は全くない。学者になるわけでもない。実務家はそんな議論に費やす時間があれば、もっと他のことに時間を費やすべきであろう。
こうした実益のない議論を好む実務家が私は大嫌いである。といって私が理論派でないかどうかは人の判断であるが、少なくとも実益のない議論は好まない。
えてして、こうした実益のない議論を好む弁護士は、具体的な事件を前にすると解決方法や主張がおかしかったりするのである。木を見て森を見る能力がないのである。とかく理屈をいう人は、本当の意味で理論派ではないし、自分に自信がないのであろうと思う。
真の理論派というか頭のいい人というものは、理屈をいわずして本質を指摘出来、周囲を説得出来る人なのであろう。理屈を全てわかった上でそれをあえて言わず、あるいは平易な言葉で置き換えて、あるいは実益のないところは飛ばして説明出来るのが真の実務家であり本当の頭のよさである。