読書日記「百年の孤独」
弁護士稼業をある程度やっていて思うのは、まじめにやる人ほど短期的には損をするということである。弁護士会の一円にもならない仕事もまじめにやっていると、また次々と「あの人ならやれる」ということで仕事が舞い込む。逆に、弁護士会の仕事を任せてもきちんとやらない人は「頼んでもしてくれない」ということで仕事が回されない。
これは会社などでも同じようなことであろう。真面目にする人ほど次々仕事を抱え込み、本来の業務につぎ込む時間が減るということもある。それで体を壊すほどになると考え物だが、こうしたその人の姿勢が将来の財産になることがあるから、真面目にやることを厭わないことである。
そうした姿勢は誰かが見てくれている。この人なら仕事を頼んでもよいと思って他の弁護士から利害関係があってその弁護士が出来ない事件を紹介されるかも知れない。逆に普段から仕事ぶりがずさんな弁護士は、いくらその人が暇そうにしていても、「きちんとしてくれないであろう」ということで紹介しようとも思わないだろう。すぐにはそうした影響は出てこないかもしれないが、長期的に見ればその人の財産になっていたりするのである。
ただ、長期的に見れば財産となると考えてやっているとそうしたいやらしさが見えてしまうので、そうした気持ちを忘れ、健康に影響の出ない程度にやることが望ましいだろう。そうした業務量がこなせるのも、天が自分に与えた才能であるとむしろ感謝するくらいの気持ちも必要かもしれない。人の能力には差異があり、どんなに頑張っても出来ない人もいることは事実だからである。
正直、何年やっていても、どうしようもないセンスのない弁護士もいるのである。
また、弁護士の仕事は華々しい仕事ばかりではなく、小さい事件のために遠方に出張に行くことだってあるが、そうした事件を軽んじる弁護士は大きい仕事も出来ないものである。小さい小さい事件のために遠方に出張にいけるような弁護士は仕事を軽んじないのである。
そうしたあなたの姿勢は誰かが見てくれているものである。短期的なことばかり見ないで頑張ろう。