読書日記「百年の孤独」
日本の刑事司法は、身柄拘束を気軽にしすぎのように思う。軽微な犯罪で、身元がはっきりしている人でも、裁判官は、検察官から勾留請求があれば、「罪証隠滅のおそれ」(要するに証拠を隠すやろってことだ)があるとして勾留してしまう。抽象的理由で安易に勾留してしまうのである。しかし、自分が勾留された時のことを考えて勾留しているかといえば、それは全然考えていないであろう。
何回か勾留前に検察官に面談して、その後令状裁判官にも面談して意見書も出して、「勾留の必要なし」として奔走したが(しかもなぜか全て土曜日であった…。金曜日に逮捕された被疑者から面会を要請されて金曜日に行ったら、「勾留なんてされたら仕事がクビになる」というので、こっちの休みを潰して走り回ったのである。
しかし、全て勾留されてしまった。私の能力不足かもわからないが、「別にこの人勾留する必要ないやん」。と強く思う事件でもそうであった。
準抗告(勾留に対する不服申立)をしようかとも思ったが、早期に解放するためには検察官とあまり敵対するのも得策ではないので、相談の結果準抗告をしたことはない。
検察官も、「身柄拘束して少し頭を冷やしてもらった方がいい」というようなことを言うときもあるが、おいおい、罰として勾留を利用するのは憲法違反やでと思うので反論はするものの、中々うまくいかない。
一度共同受任していた事件で、勾留の延長に対して準抗告をしたらどうかとY田S司弁護士に意見だけ述べてみんな書面を書いてもらったところ(私は遠方にいたので)、これが通って釈放されたというケースはあるが、これはY田弁護士の手柄で私はただ名前を入れていただけに過ぎないので、身柄拘束では保釈以外でうまくいったケースはあまりない(誤認逮捕で釈放をかちとったのがあるくらいである。人によれば、それだけで十二分だとも言われるが)。
同期の元検察官のA井弁護士からは、刑事事件に関して私はまあまあうまくやっている方だと誉めてもらえているのであるが、自分自身では身柄拘束からの釈放に関して、もう少し華々しい結果が欲しい今日この頃である(まあ、よほど刑事をやっていないとそういう事件にも巡り会わないらしいが)。