読書日記「百年の孤独」
さて、タイトルは2度目の執行猶予である。執行猶予中に再度懲役刑か禁固刑にあたる事件を起こして有罪の判決を受けたときには、原則として実刑となり、以前の執行猶予も取り消されて、後に起こした事件も含めて刑務所に行くことになる。
ただ、特に情状に同情出来るような事情がある場合には、2度目の執行猶予を付せることになっている。
しかし、私自身も含めて、中々2度目の執行猶予という事件はない。
前に執行猶予をもらっているのであるから、その時点で反省すべきであり、今回またやったということになれば、その人の反社会性は明らかだということで実刑となってしまうのもやむを得ないところがある。
ただし、被告人からすれば、「前に執行猶予をもらっているのであるから、今回も何とかならないのか」という考えが出てくることもある。そうなって私選で事件を依頼されることもあるのだが、極めて執行猶予をとることは難しく、実刑の確率がとてつもなく高いことを十二分に説明の上でしか引き受けない。被告人が考えているよりも、2度目の執行猶予というハードルはものすごく高いのである。ブブカの飛んだ棒高跳びの高さよりも高い。
被告人には、国選でも一生懸命やってくれる先生はたくさんいるという説明もするのだが、「国選はあたりはずれがあるから」といって私選でやって欲しがるのである。
もちろん、私自身、量刑資料集で調査した際には絶対実刑としか成り得ないような事件で執行猶予を取ったこともあるのだが、そうそう毎回はうまいことはいかない。いかに弁護人が頑張っても、事件の筋というものもあるからである。
そして事件をやって、かなり情状弁護で頑張るのだが、やはり2度目の執行猶予は無理で、実刑となる。似たような事件で、一審で他の弁護士がやっていて実刑となった事件で、特に新しい資料もなく、状況は変わらないのに、控訴審から弁護人を依頼されるケースもある。執行猶予を取って欲しいというのである。
このような事件の時、最初から説明しているのに、苦情をいう被告人もいないではない。
依頼の時点で実刑確実な事件で実刑が出そうになった途端に、「依頼した意味がなかった」などといわれることも偶にある(もちろん契約の時点で説明はした上であるが)。
ただ、出来る限りの弁護はするので、ほとんどの場合は苦情は言われないが、せっかく依頼されているのに、「やはり」実刑であると、こちらもげんなりするのも事実であるし、意味がないと言われるとこちらも人間であるからげんなりする。まあ基本的には私は自分の出来る限りのことをし、それを依頼者に伝える最大限の努力をして、それで依頼者がわからなければ仕方ないというスタンスではあるが。
2度目の執行猶予がどのような事例で出たことがあるのか集計した事例集などはないものかなどと思う今日このごろである。