読書日記「百年の孤独」
友達のいない弁護士は危険である。友達の弁護士と食事をしながら(お酒も飲みながら)守秘義務に反しない範囲で事件のことを相談したり、文句をいうことで精神的安定もはかれるし、やり方について意見を聞いたりする中でブラッシュアップされていくという側面があるからである。
友達のいない弁護士は、弁護士会の会務活動にも出てこず、1人で何をしているか分からないなあ…なんて噂が立ったあとに横領で逮捕されたりということが笑い話ではなくあるのである。
また、特定の友人とだけつきあうのではなく、体力の続く限り、宴会や会合には顔を出して顔を覚えてもらい、いろんな話を聞くことが大事である。
時には泥酔した目上の弁護士から絡まれたり、「おいおい、あんたそれってヤバイやん。懲戒やで。」と思う武勇伝を聞かされたりすることもあるが、これはこれで反面教師として役立つところがある。
もちろん酒が入った席で聞いた話が、ぎりぎりの場面で役立ったということも多々あって、ただでノウハウを聞ける場として宴会は非常によいところがある。私も酒の席でノウハウを話する方なのであるが、競争が激化したら若手には教えないでおこうかと思っている(ウソです)。
自分では出来ているつもりでも、周囲は全く評価してくれてない裸の王様弁護士もいるが、本当の意味での友達やよい先輩がいれば、「お前あかんで」と言ってくれるが、友達のいない弁護士にはそこまで深いつきあいの弁護士はいないので、「あかんで」と言ってくれないがために余計に裸の王様ぶりを発揮して深みにはまるのである。注意をして恨まれると嫌なので、私も遠くから眺めているだけである。
弁護士という職業は、人生の暗いところばかりを見ることが多いので、明るい性格が大事である。その意味でも、宴会に顔を出し続けていると、何となく明るい性格になるかもわからない。