読書日記「百年の孤独」
たまに外国のバスや電車の映像を見ると、すしづめで座っていたりするが、日本人は電車に乗ると、まず空いている席の窓側から座っていき(中には通路側に座ってしまう人もいるが)、それが埋まってからもう一方の席に座り出す。席が空いていても、微妙な空き方だと立っている(私もその1人だが)。微妙な緊張関係がそこにはある。どうでもいいといえばどうでもいいのだが。
何かの本で日本人は、人に接触されるのがどの人種よりも嫌いなので、電車なども空けて座りたがるというようなことが書いてあったような気もする。欧米人はハグとかをよくしていたり、握手を求めてきたりするが、日本ではあまりそういったことはしない。
統計によると、半径2メートル以内にいる人に対して好意を抱く確立が非常に高いということであるから、日本人はそうしたことになる蓋然性を、無意識に避けているのかもしれない。
ただ、明治維新前、欧米の文化が入ってくるまで、日本の性文化は極めて鷹揚であったようであるから、そことの整合性はどうなんであろうと考えてみたりもする。
また、電車の席は、女性+女性、男性+男性で座っていることが多いが、通常の体格であれば、女性+男性で座った方がゆったり座れて合理的であるが、そういうこともしない。
「それでも僕はやってない」という映画のように、男性が無実の罪で痴漢扱いされたりしないよう、危険を未然に防ぐため、「君子危うきに近寄らず」ということなのであろう乎(五味康祐風)。無罪と無実は違うと書いたが、無実でも有罪にはなることが往々にしてあるであろうからである。