読書日記「百年の孤独」
引き続き刑事の話題。
逮捕後ほどなく嫌疑不十分で釈放された事件を弁護した。犯行時間にはアリバイがあるというので、逮捕されてすぐに私が弁護人となり、私の友人であるA井弁護士と共同受任した。
2人でアリバイ立証のための資料を次々と検察庁に提出し、速やかな釈放を要求したところ、検察庁もこれを認めてすぐに釈放となった。
当然、この間は何回も面会に行くし、検察庁とは連絡を取るし、証拠を作るしで、少し後に回しても支障のない仕事は後回しにして勝ち取った結果であり、非常に大きい結果だったと思っている(この結果自体は私の自慢である。)。
起訴されて無罪を取るよりも、起訴前に釈放となった方が本人のダメージも少ないからである(否認していると保釈が認められにくいから、身柄拘束期間が長くなりがちだからである)。
ところが、依頼時点では了解してもらっていた報酬であるが、いざ釈放されてみると、「短い期間しか弁護士は働いていないし、拘束されていた間仕事が出来ていない」ということで報酬支払いを渋られた。喉元過ぎればなんとやら…である。
この結果が取れたのも、弁護士の活動があってこそのことなのだが、いざ釈放されると、「釈放されて当然」というような気持ちにもなるようだ。
困っている時と、釈放されてから態度を変えられると、弁護士としては本当にげんなりするものである。短い期間で釈放されるということは本人の利益も大きいのであり、そのような短期間で釈放されるからには、弁護士の方の仕事量も相当なものがあり、相当その期間は肉体的も無理をしている。
そうしたことを説明しても、聞いてくれない依頼者も多いので、依頼者のためにという気持ちはもちろん重要であるが、依頼者は弁護士の気持ちや考えを裏切ることがないとはいえないので、そのような気持ちだけでは保たないことがある。そういう意味で、弁護士は専門家であるという自負心のようなもので仕事をすることも必要なのである。