読書日記「百年の孤独」
過去に、高齢の1人暮らしの老人のところに、空気清浄機15台、浄水器15台がつけられているとして、クレジット会社からの支払請求が来て困っているという事件を扱ったことがあった。
ただし、現場には、それぞれ12台ずつしかついておらず、3台は架空契約のようで、私は、「担当者が他に現金で売却して、ポケットに入れたのだ」と直感した。
契約の際に虚偽説明もしているし、クレジット契約も老人に変わって販売にきた社員が行っているようなので、早速内容証明で詐欺取消、契約無効を主張してクレジット会社と販売会社に送付した。
そうしたところ、販売会社の弁護士から内容証明が来て、「契約が15件整っているので、有効な契約だから応じられない」という回答が来た。
この老人の家は、20坪ほどの家であり、仮に浄水器と空気清浄機が必要であっても、一台ずつあればよいはずである。
私は相手の弁護士の内容証明を見てあきれて、書面を書くよりも先に電話して相手の弁護士に怒った。「どこの世界に20坪ほどの家に15台ずつ浄水器と空気清浄機が必要とする人間がいるのか。また、現場には12台ずつしかついていないのだから、3台は担当社員が他で現金か何かで売却して自分の懐に入れているはずである。常識で考えたら、このような内容証明が書けるはずがない。担当社員をもう一度締め上げて欲しい。もし、あくまで担当社員がしらを切るなら、私が締め上げてやるから担当社員を連れて事務所まで来てもらいたい」と。
相手の弁護士は私の怒りの電話にたじたじとなり、「再調査します」といって、一週間後、「担当社員が白状しました。全て先生のいうとおりでした。先生のいいなりで解決します」ということであった。依頼者と打ち合わせの上、浄水器と空気清浄機一台を残して全て撤去させ、ここまでひどい契約をしたのだからとして、損害賠償も支払わせた。
その損害賠償金で老人は私の弁護士費用が支払えたので、全く経済的負担はなくて済んだのである。
契約書が有効だとか、法律がどうだとかいうことももちろん大事だが、その前に、「常識で考える」ことが大事である。この老人は、私のところに来る前の法律相談では、「契約書があるから難しい」と言われていたのである。
このような事案では、相手の弁護士は常識から考えておかしいとすぐに考えるべきなのに、企業側に立ち、「有効だ」というばかげた書類を送ってきていたのである。
消費者被害事件では、常識的にみて、「おかしい」という弁護士の最初のとっかかりが非常に大事である。そこから、「何とかならないか」と考えていくのである。理屈は次に考えることだと私は常々考えている。
多くのおかしい判決が出ていることも、裁判官に、こうした「常識」が欠落していることが原因なのである。
電話リース問題も京都で私が事務局長として立ち上げたが、常識的に見て完全におかしい商売である。企業の社会的責任ということが言われているが、まだまだ闇の部分は大きいと思わざるをえない。