読書日記「百年の孤独」
刑事事件をしていると、「酔っぱらっていて覚えていない」ということを被疑者や被告人がいうことがある。刑事や検察官は「そんなわけないだろう」として、これでは許してくれず、過酷な取調が続いたりする。また、「事実を認めない」として悪質であると決めつけられてしまう。
大酒を飲んで記憶をなくしたことのある人はいるだろう。私自身、目が覚めた時、どうして家で寝ているのか記憶に全くないことや、コートに(たぶん何かで擦ったのだと思うが)真っ白い粉がついていたり、足に怪我をしていたことなどがある。
また、断片的に覚えてはいるのだが、全体を覚えていないこともある。
真冬の帰り道を自転車で走行していたら、どう見ても酔っぱらっているオヤジさんが自転車でふらふらと走っていたところ、並木に真正面から激突してそのまま動かなくなったことを見たこともある(たぶんそのままその場で寝たのであろう。)。その叔父さんも、翌日激突した記憶はないだろう。
このような状態を、私の第3の師匠N村T雄弁護士と私は、「泥酔を原因とするアルコール性健忘症」と名付けている。ただ、さすがに私も最近記憶をなくすほど飲んだことはない。
刑事事件の被疑者や被告人の弁解は、こうした体験をもっている私などからすれば分かるのだが、刑事や検察官は「そうだよね」では納得してくれない。こうした時に事実を認めないと否認していて悪質とか言われて起訴されても保釈もされなかったりする。
実務上は仕方なしに、被疑者は被害者のいうとおりだという作文を作ることになる。
被害者と全く同じ調書が取れると、検察官はニコニコである。そういう意味で、被疑者の調書は被疑者の記憶とは違う全くの嘘が書かれている。検察官は、「記憶なんてなくす訳がない」と思っているし、裁判官もそうだからである。
他にも記憶と異なった嘘の調書は今でもよく出来上がる。これは逮捕・勾留されているためであり、保釈は事実を認めていないと出して貰えないことが多かったからである。人質刑事司法を辞めない限り、刑事裁判の未来はないだろう。人質にしているからこそ、検察官が取る嘘の記憶の調書が取れるからである。