読書日記「百年の孤独」
京都弁護士会には、市民相談窓口というものがあり、依頼している弁護士に対する不満を聞いてくれたりする。副会長を中心に聞くことになっている。
この相談窓口で多い不満が、連絡がつかないなどの他には、「話を聞いてくれない」というものも多いようである。
弁護士からすると、依頼されている事件を解決していくについて、依頼者の話が不要である部分も多いこともある。依頼者は、弁護士のところに来ている時、紛争に対する自分の思いや不満があるので、これを誰かに聞いて欲しいものなのである。
そういう意味では、法律相談は、「癒し」的側面も有している。
時間とのかねあいはあるが、出来るだけ話を聞いてあげることも重要である。
また、依頼者が話しをしているときに、話が脱線するとすぐに弁護士が「それはいいから」と遮ることもあまりよくはない。ようやく聞いてくれる人が見つかったと思って来ているのに、「やはり聞いてもらえないのだ」として依頼者は殻に閉じこもってしまうからである。
私の第1師匠から修習時代に、「中君、弁護士の話の聞き方は、イエスイエスバットノウさ」と言われて出来るだけこれを実践するようにしている。これは、依頼者の話の腰を折らずに出来るだけ聞いてから、分からないところや疑問点を「それで、ここはどうですか?」と聞き返すという聞き方である。
他には、依頼者任せにしていては出てこない事実について、こちらから例を出して具体的に聞くことで事実がよく分かることもある。
法律相談は、実は証人尋問の実践的トレーニングでもあるのである。
最近、他の弁護士でとてつもなくひどい弁護士活動を見聞きしているので、悪い弁護士の例をいろいろと書いてみることで、理想の弁護士像を浮き彫りにしてみたい今日このごろである。