読書日記「百年の孤独」
弁護士は一方当事者について紛争のただ中に入っていくので、相手方からは誤解されるし、悪意をもたれることも多い。全人格を否定するようなことを言ってくる失礼な奴もいる。それは一方当事者につくという立場上仕方がないことなのだが、相手方の中にも、直接電話して苦情を言ってくるクレーマーが時折いる。
こうしたクレーマーは、自分が正しいと信じ込んで電話をしてくるので、相手にするのが大変である。中には、説明をすると誤解が解ける場合もあるが、こうしたクレーマーはまだかわいい方である。大半はこうしたクレーマーで、解決出来ることが多い。
その一方で、何を説明しても、自分が正しいし、お前は間違っている。間違ったお前を直していくべきだ、お前の人格を直してやるから自分の話を聞けという論調で、私の全人格が間違えているかのように電話で怒鳴りまくるクレーマーはもうどうしようもない。私がそのような性格の人物であれば、私に依頼する依頼者もいないであろう。
こうしたクレーマーは、自分で考える結論を持っており、相手の弁護士の方がそれと異なったことをいうと、気に入らないので、「物の言い方が気に入らない」などと本質的ではないところにクレームをつけてきたりする。
まずもって、電話というものは私の都合も考えずにかけてきている時点で、クレーマーは自分のことしか考えていないので、そうした態度や考え方こそ正していくべきなのだが、こうしたクレーマーはそのようなことは思いもしない。
なぜなら、こうしたクレーマーこそが間違った人物であり、性格を正していかないといけない人物だからである。クレーマーのクレーマーたるゆえんである。
クレーマーは、自分が間違えていることは思いもしないで、弁護士にばかり文句をつけてくるのである。中には、あなたのことを考えて電話してあげたという豪傑までいる。その前に、自分のことを考えてみろといいたくなる。
人にわざわざ電話をしてきて注意をするほどの人物がどうかを胸に手を当てて考えてみろといいたい。
私も暇なときで精神的に余裕があるときであれば、おつきあいをして最後まで電話を聞くが、いつもいつも精神的に余裕がある訳ではない。
そうした時には、ある程度聞いてどうしようもないと分かったら、相手が話をしていても、「切りますよ」と通告をしてこちらから電話を切らせてもらっている。
そもそも、そのような電話を私が聞くべき義務は一切ないからであるが、クレーマーの方は、「自分に不満があるから、聞くべきだ」と思いこんでいる。
弁護士になったら日々こういう目に遭うのである。