こころを守るということ
みなさま、はじめまして。
岸田美保と申します。
京都新聞の広告を目にして、訪れてくださった方もおられるかもしれません。
カウンセリングというものに興味関心を持たれている方は、少なくないと思いますが、
いざ、その門をたたくとなれば、ひとつの決心がいるのだろうと思います。
過日、私はタイトルにもある『具体と抽象』という書籍を手に取ることがあり、人の「ことば」というものの、多義的な重要性に改めて思いをはせました。
こころのことを認識して、自覚してことばにするということは、実は大変骨の折れる作業です。
忘れたいようなおおよそ嫌な出来事は、忘れたいので忘れようとして、忘れることに成功したことは忘れたことになっているのですが、それが多すぎたり、たまりすぎていたりすると何らかの不具合が生じます。
私はこう考えます。
何らかの不具合や困りを、こころのこととして認識することができる方であるなら、忘れたことにされた、その体験をした忘れられた過去の自分が怒っていたり、もっとちゃんと分かってほしくて声をあげている、そのような現れが、今の困った事態を形成しているとの視点を持つことが、可能ではないかと。
そのような観点から、ことばを使って、こころのことを理解していく作業を提供するのが、当ルームの精神分析的心理療法と言えます。
「カウンセリング」との言葉でイメージされるものとの違いは(その現象をことばで描写するなら)こころのことを知っていこうとする繊細かつ静かなふたり(あなたと私)の営みであり、明るくにこやかに「今週はどうでしか?」(これが私のカウンセリングのイメージ)で、はじまるような感じではない、というあまりにざっくりとした表現ですが、そのような感じです。(笑)(もちろんカウンセリングの魅力はそれとしてあるものです)
コラムと言えるほどの記載となったのか定かではありませんが、はじめての記載をいたしました。
お読みいただきありがとうございました。