Vol.14 本を手にするという魔法

小学生との対話から見えた「時間の質」の本質について、今回は面白い対話が塾で繰り広げられたのを思い出したので備忘録のように書き綴ります。。
貴重な問いかけ
いつも平日夕方からはうちのスクールはまだまだ少人数ですが学習塾を運営しています。
朝~夕方までは職業訓練。
この日は、小学生と一緒に国語の長文読解問題に取り組んでいましたが、
その文章の中に、こんな一文がありました。
「時間の質は、どのように過ごすかで決まる」
面白い問いかけ。
その文章を用いて掘り下げたような問題文は、使用する教材に存在しなかったので、少し勉強を止めたもらって、私から子どもたちに問いかけてみることにしました。
「遊んでいる時間には価値がなくて、勉強している時間には価値があると思う?」
教室は少し静かになり、子どもたちは真剣に考え始めてくれます。
そこから、短いけれど濃い対話が始まったのです。
遊びと勉強は、本当に対立するもの?
私たちはつい、「遊び」と「勉強」を比べてしまいます。
「遊んでないで勉強しなさい」とか、「勉強のあとに遊びなさい」とか。
まるでこの二つが反対側にあるかのように。
特に保護者ともなると、ついつい口から出てしまいますね(><)
でも普段から私は、「遊び vs 勉強」という構図そのものに、「あまり意味がない」と考えています。
遊んでいるとき、子どもたちは工夫し、挑戦し、協力し、そして失敗から体感しつつ学んでいます。
一方で、勉強の時間にも、ただ受け身でこなすだけのものもあれば、主体的に問いを立てながら深く学ぶ時間もあります。
だから大切なのは、「遊びか勉強か」ではなく、
「その時間をどんな気持ちで、どう過ごしているか」
ということなのです。
このさりげなく教材に載っていた文章はとても面白い問いかけにも関わらず、ほぼ大事に取り扱われずに雑にスルーされてしまっていました。
残念で仕方ありません(><)
こういった時こそ、先生や周りの大人の出番です。
対話の中で子どもたちが気付き始めること
私が投げかけた問いに、ある子が言いました。
「遊んでいる時が無駄な時間とは思わない」
別の子は、
「反対に、勉強も大事だということはわかっている」と答えました。
それぞれの言葉を聞きながら、ある意味あーだこーだばかり言う(w)大人の私の言葉をはさみつつ、対話は続きます・・・
しばらくすると、その子の中に時間の価値を決めるのは「遊びか勉強か」という分類ではなく、その人個人の「関わり方や感じ方」だということが、はっきりと見えてきたようで、明らかに考え込んだような表情やしぐさが見え始めます。
※こういった対話の時間においては、先生は先生然としたり、大人ぶったり、知ったかぶったりしてはいけません。ひとりの友達のように素朴な疑問を投げかけて一緒に悩むのです
境界線を越えて
「時間の質は、どのように過ごすかで決まる」
この言葉は、「遊びより勉強を優先しなさい」という意味でもなく、その逆ということでも、もちろんありません。
むしろ、
「どんな時間も自分次第で価値のあるものにできる」
という可能性を示しています。
遊びの中に学びがあり、学びの中に遊びがある。
そんな境界線を軽やかに越えていくことができれば、私たちの時間はもっと豊かになるのではないでしょうか。



