Vol.17 子どもに本当に必要な学び - デジタル時代だからこそ大切にしたい五感の体験
このようにルールに従って生きていると、毎日の努力が圧倒的に減るのです。定時に会社に行く、学校指定のソックスをはく、などのクソどうでもいいルールさえ守っていれば、怒られることはない、と羊が柵を越えないように毎日学ばされているのです。これは何のためでしょうか。牧場を合理的に管理しようとする側の論理です。あなたは牧場にいるのか、自然の中にいる野生動物なのかを考えたことはあるでしょうか。考えていないとすれば、なぜ毎日餌を食べて、こんもりとウンコをして生きているんでしょう。
とても刺激的な一節ではないですか?( *´艸`)
この問いかけは、「柵とは何か」「自由とは何か」について、改めて考えたくなるのに、十分な文章です。
今回は、この引用を起点に、教育・子育て・社会における「自由」と「守る責任」について考察してみたいと思います。
ロバート・ツルッパゲとの対話
ルールは誰のためにあるのか
ルールは本来、人々が安心して暮らすために生まれたものです。
しかし、現代では多くの教育的な考え方が氾濫しており、親や先生が右往左往しながら、最新の教育とは何かを考えさせられつつ、子どもにまだあまり習ったことのないような教育理念を用いることで、「ルール」そのものの本質が見失われる場面が少なくありません。
「ルールは不自由だ」「個性を奪う」といった見方も広がる一方で、「ルールに従っていれば怒られないから安心」と、深く考えずに従うこともあります。
ではまず、ルールを超える行為、すなわち「柵を越える」ことは、常に正しいのかどうかを考えてみました。
ファーストゴートの問いかけ
「ファーストペンギン」という有名な言葉があります。
ファーストペンギンは、最初に海へ飛び込む勇気ある存在として知られています。
では、最初に柵を越える羊――「ファーストゴート」もまた、称賛されるべき存在と言えるでしょうか?
もちろん、勇気は大切なのです。
しかし同時に、「その柵はなぜあるのか?」という問いを忘れてはいけません。
一方で、羊が柵を越えないのは、外にいる狼から守られているからかもしれません。
もし「越えられない」と思い込んでいるだけなら、それは不自由ではなく「思考停止」なのかもしれません・・・
自由を「与えること」と「守ること」
今や教育の場でも、「自由な発想を大切に」と言われる時代です。
先生は生徒に、親は子どもに、裁量と選択肢を与えることが求められています。
けれど、本当に大切なのは、自由と同時に「安全」という土台を整えることです。
もし先生や親が、「自由にしていいよ」とだけ言って、周囲の危険や心理的な守りを用意しないのだとすれば――それは放任であって、結果的に愛ではないと言えてしまいます。
気付かなければいけません。子どもたちは、大人たちが本気で守ろうとしているかを敏感に感じ取っています。
その姿勢は、言葉以上に信頼を生み、安心感となって彼らの中に残るのです。
経験と知識は、放棄すべきものではない
長く生きているだけで、私たち大人は多くの経験を積んできました。
長く学んでいるだけで、先生たちは多くの知識を持っています。
それらは、子どもたちの「自由な冒険」を支えるための、土台であり、守るべき柵なのです。
よくわからない「自由」という響きの良い言葉の魅力に憑りつかれ、それらを手放してしまう必要はありません。
本当の自由とは、「守られている安心感の中でこそ」生まれるのではないでしょうか。
おわりに
柵を越える勇気も大切ですが、柵を設ける責任もまた、同じくらい大切であると考えています。
ルールに込められた意味を伝え、自由の本質を支えること、その難しい両立こそが、私たち大人の大事な役割なのでしょう。




