1人で悩まないで
母がヒヤシンスの花の写真を送ってきました。
「去年、貴女がプレゼントしてくれた
ヒヤシンスの花を庭に植えました。
そして
可愛い花を咲かせてくれました。
生命のすごさを感じました。
可愛いです。
嬉しくて送りました。」
去年、街を歩いていて
オシャレなお花屋さんの店先に
三色入ったヒヤシンスの植木を見つけて
何故か、母にサプライズさせたくて
わざわざ車を走らせて渡しに行ったのでした。
花が咲き終わった後に
母が庭に植えておいたのが今日、
再び花を咲かせたとの嬉しい知らせでした。
今、改めて思い出してみて考えると
昨年ヒヤシンスの花を渡しに行った数週間後
母と私は突然仲違いをし、傷つけ合い
しばらくの間私は母との距離を置きました。
その間も土の中でこの花は命をあたためて
再び春の訪れと共に私と母の前に現れてくれたのでした。
「おだやかに平和にね」と白く可憐な花が伝えてくれているようでした。
この年になってもまだまだ人としても未熟で
アマチュアな私は母からのLINEの言葉に
恥ずかしくて自分が情けない気持ちになりました。
少しぼけはじめて、分からないことを言い出した母を
あの時許せなかった私がどれだけ残酷で冷たい娘だったのかと思うのです。
老い始めて訳分からないことを言い出した母を愛おしく思う前に
私がショックを受けて混乱してしまったのでした。
母との壮絶な過去と現在と未来の形と
老いの現象を受け止めて受け入れることが親への感謝と愛なのだと
やっとやっと少しずつ見えてきたところなのかもしれません。
本当に…
ヒヤシンスの花はたくさんのことを
私に教えてくれたのでした。
そして今日知ったこと、それは
ヒヤシンスの花言葉は「哀しみを超えた愛」でした。