桜のような生き方
「決して手に入らなかったもの、それはいつまでも変わらない。
手に入れてしまったもの、それはいつか色あせていく」
サラ・ティーズデイル (米国の詩人)
長い間あこがれていた品物をようやく買うことができるのは嬉しいことでしょう。
しかし、どうしても欲しくてやっと手に入れたものでも、最初の高揚感は長続きせず、
だんだん「色あせて」いくことも多いようです。
これを「ヘドニック・トレッドミル」 (快楽順応)と呼び、
幸福度が一時的に高まっても、また元のところに戻っていく
ランニングマシンに例えられます。
新たな高揚感を求めるように買い物を続ける。
まるでトレッドミルの上を走るように。
しかし脳が快楽に順応して
その状態を当たり前のものだと感じてしまうのも早くなる、というわけです。
イェール大学で人気を博した
「心理学と幸せな人生」 講義のローリー・サントス教授は、
この脳の持つバイアスに対処するには、
「長く持たないものにお金と時間を投資する」ことが有効だと述べています。
つまりモノではなくコト、旅行や体験といったものです。
大切な人に会いに行くことや、食事なども当てはまるでしょう。
唯一無二の経験は記憶に刻み込まれ、時間が経つにつれて
より貴重な思い出になっていきます。
これは男女の間でもいえることかもしれません。
「恋」と「愛」
「恋に落ちる」とは言いますが、
「愛に落ちる」とは言いません。
「恋」は なにか突発的なもので高揚感を伴いますが、
時とともに最初の情熱から遠ざかっていく。
「出会った頃はあんなに幸せだったのに」と飽き足りなくなり、
やがて二人の関係がマンネリだと感じてしまう。
この刹那的な「恋」が、長続きする「愛」に変わっていくには、
脳が幸せを当たり前のものとして順応してしまわないように
「努力」 して関係を育んでいく必要があるかと思います。
日々の食卓など小さなことでも相手に感謝し、幸せだと感じる。
日常の中で、少しの変化や成長を大切にする。
健康でいられることを慈しむ、
そしてモノではなくコト、つまり食事や旅行や、散歩でも、
とにかく一緒に何かをして時間を過ごす、
これらは意識しないとなかなかできることではありません。
そしてサントス教授も述べているように、
「他の人たちとは比較しないこと」。
幸せになるため、愛を育てるためには
「努力」も必要なのだと思います。
もう一つの言葉
「すべてのものを手に入れることなんてできやしない。
第一置き場に困るだろう?」
スティーブン・ライト (米国のコメディアン)
「うーん」と感じさせられるユーモアのある言葉だと思いました。