五月の青春
先日電車に乗っていると
目の前に高齢の女性が近づいたのを見て
中年の男性が席を譲ろうとしたところ、
その女性が「いいです、大丈夫です」と手を振り
男性がさらに「いやどうぞ」と促しても座ろうとせず
すでに席を立ってしまった男性は座りなおすのもバツが悪そうで
ちょっと不本意な表情のまま、席を離れて行ってしまいました。
そういえば私も以前、
ビルのエレベーターで最下階まで降りてきたときに
「開」ボタンを押しながら奥にいた同年配ぐらいの女性に
「どうぞ」と声をかけたところ、
その方も「どうぞお先に」というジェスチャーで返され
しばらく「どうぞ」「どうぞ」の譲り合いになり
その場にずっといるわけにもいかないので仕方なく先に出てきて
ちょっと後味の悪い思いをしたことを思い出しました。
電車で席を譲られた女性は「遠慮」されたのでしょうが
もしかすると譲られるほど歳はとっておらず元気だという自負、
年寄扱いされることへの抵抗感、
プライドのような感情がとっさに出たのかもしれません。
しかし席を立った男性は面目がつぶれたような格好になった気がしました。
遠慮することは奥ゆかしい所作ではありますが、
時に本心を隠されているような気持になったり
もっと素直なリアクションが欲しいと思う相手には
逆効果になることもあるように思います。
ここについては
日本語の言葉の曖昧さからくる
本音と建前などの行き違いが起きるような気も致します。
「いいです、大丈夫」は英語の場合
「No, thank you」となると思うので
行き違いは少ないように思います。
また、本音と建前といえば
例えば、京都ではお招きに預かったとき、
「ぶぶ漬けでもいかがどすか?」と言われたら
それは「もう帰ってや」という意味らしいので
関東の人からみたら、ますます分からなくなると思います。
京都はもともとは貴族文化圏なので、揉め事を避けようとして遠回しに言う。
この「察する」という気持ちが粋であるという考えのようです。
「察する」ことの難しさを言うならば
夫婦間の感覚の違いを日々感じています。
遠回しに言う言葉が結局理解されず
イライラになってしまうことも日常よくある問題です。
(妻)「今日、夕飯どうする?何がいい?」
直訳→今日は作りたくない
※夫は食べたいものを正直に言ってはいけない
(妻)「今日、なんか風邪ひいたみたい、だるいのよね」
直訳→労って欲しい、心配して欲しい、手伝って欲しい
※夫は早く寝れば!?とか何度熱あるの?とかは言ってはいけない
(妻)「今日は何時頃帰ってくるの?」
直訳→早く帰ってきて手伝って欲しい
※夫はまだ分からないと言ったり、時間を正確に伝えればいいわけではない
(妻)「子どもが最近言うことを聞かないのよ」
直訳→なんで毎日私だけが子どもの面倒を見なくちゃいけないの。
もう少しあなたも関わってよ…!
※夫は反抗期なんだよ、とか
おまえがうるさすぎるんじゃないか、などは決して言ってはいけない
というように、妻の言葉には京都人の言葉の奥ゆかしさに裏があるように
夫もそこを知れれば多少、日々の口喧嘩が減るようにも感じたりします。
ただ、このブログを書いていて思う事は
男性からすれば、女性も確かに面倒くさい、分かりづらい動物だなと
私自身も反省したりしました。
このように、相手が他人であったり
環境や習慣が違ったり、年齢差だったりすれば
ズレや誤解はあたり前に起きますし
男性と女性となれば尚更のこと全く違った生き物であり、
価値観は同じではなく
たくさんの感覚の違いがあるということだと思います。
コミュニケーション能力といえばそのまんまですが
言葉のニュアンスって本当にむずかしい永遠のテーマだなと
つくづく思った時でした。