ビッグヒストリー
時代小説や美食家で知られる池波正太郎さんが書いた
「食べる」というエッセーがあります。
「人間は、生まれると同時に、
確実に【死】へ向かって歩み始める…」と始まり、
死への道程をつつがなく歩みきるために
動物は食べねばならぬという矛盾を抱え
死ぬために生き、生きるために食べる、
つまり「死ぬために食べていること…」になると
ちょっと虚を突かれる文章で始まるのですが、
「しかし、人間という生き物を創りあげた大自然は、
他の生物とは比較にならぬ鋭敏な味覚を付与してくれた。
これがために、人間は多種多様の食物を生み出し、多彩な料理法を考え出した」
と人間にとって食べることがいかに特別なことかを説きます。
ほほえましいエピソードとして
子供の時に、離婚して女手一つで貧しい家庭を支えていた母親が
実は当時10日に一度は一人で鮨をつまみに行っていたことがわかり
冗談半分で母親を責めるのですが、
「まず、このように十日に一度、好物の鮨をつまむことだけでも、
人間というものは苦しみを乗り切って行けるものなのだ。
つきつめて行くと、人間の【幸福】とは、このようなものでしかないのである」
と理解を示します。
もちろん戦前のことではありますし
今の飽食の時代とは比較にならないわけですが
昔も今も、誰もが死に向かって一刻一刻と進んでいることには変わりなく、
こうした「矛盾」を忘れる、もしくは「矛盾」のまま物事を解決するために
「食べる」ことは人に与えられた本質的な術なのかもしれません。
誰かと喧嘩をしても
「何か美味しいものでも食べに行こう」と言われると、
頭では怒っていても、どこか和解を受け入れようかと体が反応することもあります。
「同じ釜の飯を食った仲」という言葉も
何か理屈を超えたつながりの大切さを示す表現としてよく使われます。
くよくよせずに、「美味しいもの」でも食べてまた考えてみる。
そうやって困難をやり過ごすことは元来
人間だけが持っている対処法なのでしょう。
さて、今日はひさしぶりに
何か美味しいものでも食べに行こうかな…。