「親の背中を見て子は育つ」とは
最近、養老孟司さんの著述を読みました。
「個性があって当たり前、私があって当たり前と考えない方がいい。
一貫した私という考え方は明治時代に西洋から持ち込まれたものだ」
と養老さんは説きます。
そもそも江戸時代までは、
日本人は名前が何度も変わりました。
幼名があり、元服すると名前が変わり、
また折に触れてさらに名前が変わっていきました。
例えば徳川家康は幼名を竹千代、
元服して松平次郎三郎元信(この名前の由来も面白いですが)、
その後に元康、そして家康、さらに名字も松平から徳川に改めと、
4回も変わっています。
またかつての市川染五郎が松本幸四郎になったり、
中村勘九郎が中村勘三郎になったりと、
歌舞伎役者が襲名で名前を変えていくのも、今に続く身近な例です。
つまり江戸時代までは「私」がどんどん変わっていくのが自然だったわけです。
名前が変わるとともに、違う人生に切り替わっていき、
幸せだと思うことも時とともに変わっていく。
物理的にも
「人間を構成している成分は約1年で90%入れ替わる。
人間は川のように流れ移り変わる。本当の自分など存在しない」
と養老さんは論じています。
これらの事は、夫婦カウンセリングで日々感じていることでもあります。
結婚当初の気持ちについて尋ねた時に
ある夫婦が話していたことです。
「夫は何に対しても論理的で自分にも厳しく責任感があり
完璧を求めて努力して進んでいる姿が頼もしかった…」
そして
「妻は果てしなく自由な感覚を持っていて
人とは違った個性が魅力的だった…」
しかし10年以上が経って
今は夫の厳しさが責められたり攻撃されているように感じる…
そして
妻の自由すぎる個性が目につき
自分と苦楽を共にしてはくれていないと感じる…
と変化を恨むようになっていました。
人は相手の変化を受けいれにくくなっていますが
実はお互い、持っている考え方の軸は変わっていない事が多く
しかし相手には子供ができたなどの環境の変化と共に
順応して変化してくれていくことを強く望んでいます。
その人、その人のあるがままの姿
つまりその人の軸さえも疎ましく感じてしまっていることが多いようです。
変わっていく「私」と変えられない「私」を受け止めて
尊重して、時には諦めて、流していけるようになれたらいいのかもしれません。
そんなことを、自分のことも含めて考えた日でもありました。